ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

(嘘ニュース)合理至上主義が殺した日本の自転車社会

2017年12月10日、先進国ではまずお目にかかれない不可解な法案が日本で提出された。それが自転車の「段階的ゼロ」である。
自転車による交通事故のため1000人単位で死人の出る日本では2025年までに現在800万台あるといわれている自転車を400万台に減らし、2050年までにゼロにするというなんとも強権的で全体主義的な制度である。

「衰退法」とも言われたこの法律は日本の自転車業界を一変させた。日本の自転車市場は目に見えて衰退してしまったのである。まず自転車販売店であるが法律提出前には2万店以上あったが、現在では1万数千店まで減少。労働者数も5万人台から3万人台へと縮小した。
アジアで冠たる位置を持っていた日本の一大産業はあっけなく崩壊してしまったのだ。

この法律を作ったのは日本政府機関である“日本共産党”という日本でいえば○○機構にあたる機関である。
日本の左翼と欧米の左翼は異なるものだ。欧米では解放であるのに、日本では保護に偏り、結果自由選択を狭めてしまうという弊害を伴っているとも。
まさに“日本共産党”とはそんな機関である。理想的であることを第一に考え、現実に対する解釈にまで口を挟む東洋的左翼性(?)を伴ったカルト機関である。

この“日本共産党”、徴兵制の復活という頓珍漢なことも言い出した。その理由は「男性が政治の快感を得る可能性がある」からだそうだ。もう呆れてものが言えない。
国家が「理想」に口を挟み始めると自転車は規制され、交通インフラの大きな部分を占める一大産業を壊滅させ、政治という快感を目的とした行為を禁じる愚行を始めるのだ。

ところで「自転車規制」が決定した時に世界の自転車好きはどのように反応したか?
それは「日本チャリ終了wwwww」と嘲笑ったのである。
私はこの時、彼らとは決定的にわかり合えないと実感した。ことは人間の自由選択という基本的な権利への弾圧である。どこの社会であれ、反対の意を表すのが当然だと思ったからだ。ところが彼らは相手が日本であることを理由に嘲笑した。
彼らはただの下劣なヘイトスピーカーである。連中に自由などという言葉を口にする資格はまったくない。

今の若者は20世紀までとはまったく異質で右翼的だ。ファシズムへの支持も高い。
だが安倍のアンチテーゼ政権が推し進めようとしている理想主義とは、まさに“日本共産党”が行ったことと親和性が強い。PTAが若者文化を弾圧したように。それがわからない「肉屋を支持する豚」バカが支持母体となった社会は崩壊する。オートバイが好きな私にはまことに不本意だが、肝心の若者がこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。

このままでは危ない

サブカル階層に問題行為をあおる「ネット過激派」の迷惑煽動というか反社会思想を本来主流階層は批判しなきゃいけないのに、実際には日本の主流階層はネット過激派が騒いだことをまとめサイト記事をそのままなぞる後追いしかないから彼らを後押ししてる側なのだ。

昔の2ちゃんねる系の事件が代表例だが、2000年代ならばネット空間で発生した事件や社会問題を、テレビや新聞といったマスメディアや大衆がカウンター的に批評する回路がまだあったんだが、電車男ブームやニコニコ動画があって、2011年にスマホの普及と震災でSNSが拡大してからはご覧の有様になったな。

ネット過激派ってそれ自体が偏った存在で、国民大多数とは相いれない非安全人間だということ、そういう危険分子に厳しく向き合わなきゃいけないんだということ、それがマスメディアや大衆の中から抜けてる。電車男ブームとかケータイ小説で1度片棒かついだら抜け出せなくなっている。朝日新聞の記者にさえそっち系はいるもんな。

よくリベラル系のアカウントが政権批判や反レイシズムなどで素晴らしい報道をしていると評価しているテレビ朝日のモーニングショーと言う番組もしょせんはネット過激派迎合ワイドショーにすぎない。とくダネほどあからさまじゃないが、まとめサイトのレベルの話題をわざわざ公共の電波でやりすぎ。

公共の電波が「〇〇という話題が今、ツイッター上で賛否両論になっています」みたいな感じに伝えること自体が有害なんだよ。所詮まとめサイトレベルの話題なんて無価値なんだから無視する方が社会に有益であることが多いし、だいたい賛・否のいずれかの側はネトウヨ的ゴミ連中の戯言でしかない。

ネット過激派をつけ上らせているのは間違いなくマスメディアである。新聞なら産経があざといが、それよりテレビの地上波ワイド番組の方がもっと深刻だよね。マスメディアがいちいちネット原住民の宣伝みたいなことをやるから、連中、全能感にかられて暴走するのだ。スマイリーキクチ事件もしかり。

日本の大衆に欧米や中国・韓国レベルの先進国水準のモラルと矜持があれば、デンマーク大使館のアカウントに排外主義的なトロルが殺到しているということ自体が深刻な現代病として報道することができるが、今のワイドショー文化なら「大使館ツイートが賛否両論の物議に」とか報じかねないからな。

ファシズム右翼だって思想の自由」「マフィアだって基本的人権はある」「在特会だって不遇できっとかわいそうなんだ」的な暴論が絶対に成り立たないように、社会を脅かす危険はそもそも存在自体が許されるものではないし、絶対に一般化しちゃだめなんだよ。

所詮世の中の一部の、サブカル崩れが凝り固まってるだけのネット過激派を、まるでインターネット時代型の新しい主流スタイルであるかのように誤解し、彼らの暴力を助長させている責任を大衆はとらないと。ホンダやトヨタだって暴走族と向き合ったんだから。同じだよ。こっちは情報の公害だ。

【緊急】日本のポップ文化の再生を考えよう

最低ですかー?

最低ですかー?

そう、最低だ。

我々が生きているこの社会の状況は今、最低最悪だ。そのことを誰もが理解している。

だからこそ、どいつもこいつも運動を訴える。

だがそれらは皆必ず失敗する。状況はもはや小手先の活動でどうにかなるような、そんな甘っちょろい段階にはないからだ。

今必要なのは、もっと凄まじい、「革命」、或いは、「衝撃」である。

現在は文化氷河期に似ているとも言われる。文化運動を掲げるクリエイターや芸能人の中には、往年の文化の代表を気取る者も少なくない。だが彼らは、一番肝心なことを忘れている。

ポップ文化は大衆文化に直結したのではない!

そもそも大衆文化は、ポップ文化のアンチテーゼである。多数派ありきが前提のポップカルチャーにおいて、可能な効果は精々、「ちょっとだけ赤色」か「ちょっとだけ紫色」といった、生温いものでしかない。今必要なのは、「ものすごーく赤色」か「ものすごーく紫色」といった、とにかく根本的な革命であるというのに、大衆文化の枠内ではそれが出来ないのだ。

赤であれ紫であれ真のポップ文化を志向する者は、大衆文化のシステムに依存しない変革の道筋を見出ださなければならない。

諸君の中には、未だに私をヲタクだと誤解している者も多いようだ。改めて言っておくが、私は現在リベラルであり、明確にリア充の立場である。

その上でまず、オタクの諸君に問いたい。

私は、日本社会の貧困化の進行に対する懸念を諸君と共有するものである。だが諸君はそれを一体どうやって阻止しようというのか。社会の貧困化の進行を嬉々として推進しているのはむしろ大衆自身である。それは大衆が道徳に煽り立てられた結果に過ぎないと諸君は言うかもしれない。しかし、煽られたものであろうとなんであろうと現実は現実である。諸君はもはや大衆文化の一部たるオタク文化を否定しない限り貧困社会化を阻止しえないし、否定すれば諸君はもうオタクではない。

このジレンマを、諸君はどう脱却するつもりか。

貧困社会化の阻止という課題を私はむしろ非オタク系の諸君に定義したい。サブカルチャー共同体がしっかりしていればオタクを大衆文化にまで持ち上げるなどいらなかったはずだ。それがやむを得なくなったのはサブカルチャー共同体が壊れてしまったからだ。オタクを大衆化させるなどという対症療法より、共同体を再建するという本質的な解決が志向されなければならない。

同化を強要する社会より、アイデンティティを尊重する社会の方がよっぽどマシだ。

貧困社会化の進行もむしろサブカルチャーの諸君にとってこそゆゆしき問題ではないのか。貧困社会の拡大は、サブカルチャーの人権を破壊するからだ。

オタクの諸君はよく理解しているように、現在ほとんど全ての問題の元凶はいわゆるファシズムである。右翼主義の全面展開こそが全ての元凶である。

オタクの諸君にはよく思い出して欲しい。不良を名乗った20世紀のサブカルチャーは、ハイカルチャーのみならず大衆文化をも批判の対象にしていた。そして重要なのは、ラテン主義の失敗が明らかな今オタクはファシズムをただ批判することしか出来ないのに対して、我々にはサブカルチャーという代案があることだ。

通勤ラッシュ時の道路を高校生や大学生の通学オートバイが走る均質な風景と、それらに依存する画一的な生活スタイルが国中を覆い尽し、日本固有の伝統的な文化は破壊されていく一方だ。こうした時代の横暴に対抗しうるのは弱者をおいて他にない。にも関わらず、現在の我が国の弱者は「時代の横暴を規制する」という役割を放棄し、左派だろうが右派だろうが要はファシズムの手先に過ぎない!

そのような現実は打倒しなければならない。

そして、ファシズムからの離脱を志向する真のリベラルは、弱者を掌握しなければならない。

その方法として、大衆に期待してはならない。我々は大衆に依らない革命的な文化運動、「カウンターカルチャー」を志向しなければならない。

そのヒントは、2010年代の秋葉原系にある。国民の大多数が共鳴した2000年代電車男ブームとは異なり、オタクのわずか4割にも満たない部分が決起したに過ぎないサブカル運動は、良識を否定し、アウトロー的な直接行動に訴えて、少数派であったにも関わらず社会をあれほどの大混乱に陥れた。

彼らの限界は、彼らがオタクの枠内に留まったところにある。

文化闘争であれ武力闘争であれ、表社会をはみだした反社会運動には、権力の圧倒的な壁が立ちはだかる。オタクがそれを突破しようと思えば自前の活動勢力を組織するよりないが、それは不可能に近い。末期のオタクはそれを試み、言うまでもなくその全てが無惨に敗北した。

しかしサブカルチャー系の反社会運動は、権威の暴力に対抗するのに必ずしも自前の活動勢力を組織する必要がない。サブカルチャーの革命運動が一定以上に高揚すれば、必ず敵側が、これに呼応する動きが出てくるからだ。

立て文化人よ。大衆文化を否定し、少数派による直接行動を志向するサブカルチャー版「秋葉原系運動」の形成こそが、勝利への突破口である。

文化人の諸君、ポップ文化の復権は、可能だ。

私の趣味人生を振り返るGW

1986年6月 鉄道趣味に入る

1995年5月 バイクや車に興味を持つ

2003年8月 バイクの免許を取る

2004年4月 ブログやホームページをはじめる

2007年4月 宝くじ、toto開始

2012年12月 執筆業になる

ブラック企業が「今」バッシングされている理由

民主主義などのモンスターが進んだという説、アレって嘘だよね?
正確には「オリンピックを目前に、日本社会の悪いところの落とし前をつけたい」だよね?
自分の虚栄心が大切だから、その幻想を現実で壊されたくないだけだよね。

経営も、まともな企業ならきちんと捻出するんだよ。
なぜなら、それこそ経営が10、20年単位だから。
自分勝手で楽しい時期なんて、景気の悪い時期くらいだよ。そして不況下でキリギリスだったお前らに、好景気への移行期の寒さが突き刺さる事になる。

倫理はイヤ、遵法はイヤ、搾取万歳、このような運営は好景気には通用しないんだ。


成り立たなくなって大変とか言うバカは、自分がこれまでに使った無駄を数えてみろよ。鬱で云々とかいうカスは死んどけ。
持続性のない、実体性のない、モチベーションが気にできない、まるで家の部屋が散らかっているようであらゆる行動の効率が悪い、向上心を意識していない、叩かれている・叩いているところはこんなのばかりだ。


夢がない、死ぬしかないって言ってもね、日本のブラック社会を追求するチャンスは過去にもあったし、もう少し間に合えばモチベーションをあげて黙殺することすら出来た。
要するに叩いている人はともかく叩かれている側も結婚しない、子供作らない人の人間の下位50%以下の負け組同然って事だよ。
持続性がないならそれは仕方ない事だけどね。
負け組が口をきけるのが現代の良い所(なにせ、10年前では誰も話を聞いてくれない)だけどね、負け組って自覚は持とうよ。


40代以上の人間ですらこの調子に乗った事言ってるんだよ。
負け組でもいい、向上心なんていらない、死んだら死んだ時、金がなくなっても生きていけるって。
これが20代、30代でも言うようになり、ひいては全労働者が同じことを言ったら、どうだろう。

自由を謳歌したIT企業は、今更時代遅れと言って会社を畳んだ。当然だが現存しない。
ブラックばれてきついお灸食らった広告屋は、いきなり倫理に気をつけて社風が変わった。いろいろとヒィヒィ言ってる。
私の母校の近くの学園は周囲が散々止めても聞かず、資金を使い果たして廃校。跡地は唯の公園になった。
とあるエロゲーメーカーはあれがばれて、最近ゲーム生産活動が止まった。その後どうなったのか知らん。

こんな例は身の回りにいくらでも有る。
不況時代をキリギリスとして生きたところには、必ず報いが来るんだよ。
まぁ負け組はキリギリスというほど今も楽しめていないのだから、これは関係無いな。

負け組のみなさん、君らが嫌われるのは勝手だけど、栄光があったのだから変えないという虚勢を張るのはやめて下さい。
君たちは空気を読む能力が無く、向上心を与えて責任を持つ気概も無く、厳しい時代の中で生きていく知恵や人脈を作ってやる事も出来ない無能です。
私達は無能で責任を持つ気概も無いので神様に泣きつきますと、正直に告白して下さい。
そして2020年に後悔して下さい。これは間違いなく後悔しますから。
日本はこんなはずじゃなかったと、日本の片隅で、毎日後悔して何年かお過ごしください。

親日家よ、これが日本の都会人の姿だ!

2005年に日本における反鉄道感情が爆発してからというもの、まだ「ただの少ない不満」の段階ですら、ネット空間などでは以下のような異常が爆発している。
ギ○ングとキ○ガイを混ぜたよりもおぞましく醜いインキュベーダー野郎どもの発言の数々を見て欲しい。今回は不愉快・匿名を承知で掲載する。

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日本の鉄道好きを調査したら、何処かしらヤンキーとかと友好関係にあって、世界中の大人が仰天したんだよね
「これは正常じゃない。途上国でもありえないし、日本は狂ってる」って冗談じゃなく本当に落ちこぼれの入り口なんだね

鉄道好きか…
撲滅させてやる!1人残らず!とな

鉄道好き=ヤンキ.ー(不良)
鉄道好き=ヤンキ.ー(不良)

鉄道好きはやめていいよ
都会中のだれもが望んでるよ

鉄道好きは都会社会の中に存在してはいけないな

鉄道好きって1980年代のバイク乗り社会(珍走DQN)の時もだけど、本当に彼らってツッパリ好きとか似ている分子なんだな

鉄道好きは田舎に行け!!

仕事好きとしては有能だったかもしれんがツッパリの血には抗えなかったようだな

暴走・やさぐれ・右傾化・反知性など迷惑を司るツッパリの細胞が覚醒してしまったのだろう

一般市民を馬鹿にする似非良識人の鉄道好きを糾弾する!!!!!!

鉄道好きは全てワルのはじまりということが証明されたなwww

田舎者は鉄道好きを引き取れ!!!!帰ってくるなよ!!!!

現代なのにDQNの狼籍多すぎだわ。まじ非難望む!

血筋には逆らえない?
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本当に書き写している私まで不快感がしてきた。
日本のヤンキーは概ね無毒化されたが誰も失敗に学んでいない。だからネオヤンキーの防止など現在では無力だ。だがこいつらの発言は欧州や東アジアならば彼らに報復されるほどの危険発言であることを述べておく。

日本でアニメを用いたサブカルがやたら増える理由はオタクへの寛容性のなさに原因あり

日本のサブカルが「アニメすぎる」という問題。単純に文化的寛容性がないんだと思う。外国のサブカルと比較してみれば気づく。バラエティに富んでいる。日本のは明らかに陳腐すぎる。

鉄道も日本だと何かにつけてデザイン性を出したがる、ラッピングか、ぼったくるか、オタクに迎合するか、まあ手法がワンパターンだが、外国だと普通に中身の改造を伴ったものが主流っぽいし。

以前ドライブやツーリングに付き添ったときには大都会の寂しさと、目的地に着いた時の爽快感のギャップがすごかった。先進国レベルに近い高度な文化性があるんだよね。

あと不思議なのが日本の芸能に多いのが貧乏人が出てくるやつ。たとえばドラマ。確かに非富裕層が多数でも、日本は世界有数の経済都市だから、むしろ富裕層が出た方がイメージしやすいのではないか?

それに比べ外国のドラマはどうか。例えば中国や韓国のそれは、富裕層と非富裕層との葛藤が描かれている。これがわが国の日常風景ですよということを、堂々と宣伝している。

どうも日本のドラマは、こういう側面のものが弱いと思う。日常を差し込む場合は明らかに単調な映像だし、そうじゃなかったら出てくるモデルは貧乏人。そしてサブカル≠アニメだけなのに、アニメのイメージで釣るという手法の横行はあまりよくないと思う。

 

それからJK☆Bや昔のバイク漫画の炎上した奴で思ったのだが、暴走族が滅んだ今なおもバイクに対するイメージの悪さがあると思う。マイナスイメージも克服できていないのに、3ない廃止とかあったけど、道路社会に適応しようと思った人間がどれくらいいると思う?

これも道路がらみの話で、最近都市部で公共交通の利用回数を調整する運動が広まっているけど、こういうその場しのぎのことしか対策が出来ないのだろうか?

 

ネタ消費×アニメオタク=オタク文化の表に出てくる部分みたいな図式ができあがっているとしたら、そんな陳腐なものを過信する連中が多いからオタクがどんどん突っ張ったり成り上がったりするのだろうという「自己責任」論を私は唱えたくなるものだ。

私は何も「サブカル=しょせんアホなんだからカッコつけんな」という発想の持ち主ではない。むしろ逆で、サブカルはミーハーで馬鹿でナンボみたいな前提のもとでネタ消費とベタに走ってる風潮がよくないと言っているわけ。みんな「ポストヤンキー」精神なんだよなあ。珍走団すらとっくの昔にいないのでもはやヤンキー精神自体ダサいのに。

最近復権しつつある据置機・携帯機ゲームやPCゲームは、クリエイティブな表現に富んでいる。とても凝った作りになっていて、いい。

一方、ソシャゲをめぐっては、のっけからギャンブル紛いのゲームが出てくることにPC主義者から批判が殺到して炎上した。そしてこれ、ギャンブルを抜きにすると、陳腐化したサブカルのあれこれを掛け合わせ、映像などを楽しむだけというヤンキー文化要素しかないという代物だった。

ヤンキー文化の乱用に対しては、アダルト表現っぽいとかギャンブルを連想するなどの政治的公平性の観点から批判もあるが、そもそもそれを抜きにしても、やっぱり陳腐すぎだ。この手のオタク文化クリエイターはネタに切れると「手間のかかりやすさ」や「難しさ」に頼るいうが、最近はあまりにもアニメ頼みになりすぎだろう。