ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

私の年譜

1985年2月 青森県弘前市に生まれる。

1986年12月 大阪府高槻市に移住、当時の家族の貧しさのためか幼稚園・保育園経験なし。

1995年3月 両親の職業の都合で神奈川県北東部のY市に移住、以後主に東京で育つ。

    4月 初めて自転車に乗る。

1997年4月 公立中学校に入学。弱肉強食と云われても仕方がない生徒の雰囲気に無意識のうちに影響されるが、それが顕在化するのは社会人時代で、学生時代はまったくの草食系。「不良」への反発から、古本を使った勉強と物理の独学に没頭。
2000年4月 県立高校に入学。有名校とあるだけに異様に規則が厳しかった。(偏差値は高くも低くもなく)入学後わずか2ヶ月にして雰囲気が一転。友人とラノベ狩りの日々が始まる。
2001年8月 コミケに初参加。「お宅だけの空間」とされていたが、次第にその虚構性に気づき、苦悩の日々。いじめを受けたのもこの頃で、あまりにも目立つからか下校中や休日の外出中に地元の珍走団連中(困難校が近くにあったためなのか?)にいじめられたので、仕返しに陰湿ないじめを行った。

2003年4月 大学の情報科学学科に入学。リベラルなところだったが、やっぱり高校時代とは違う意味での闘争の日々。この時点ですでにあらゆる左派的な価値観と相容れない感性を身につけていたのだろう。

2004年4月 「オタクサークル」結成。階層の枠を超えたサークル。人数10余名。主に出版やメールマガジン配信による収入を資金源としていた。

   8月 初めてヒッチハイクをする。

2005年8月 初めてオートバイに乗る(後部座席のほう)。

2006年3月 初めて外国に行く。
2007年4月 「大学卒業」を理由にサークル解散
    5月 あまり目立つ活動をしなくなる。
    6月 ネット右翼を結成。電子掲示板やSNSなどで、仲間を募る活動開始。
    10月 東京で開催されたネット右翼の講演会に参加。左派勢力と闘うネットユーザーたちによって、2000年代から定期的に続けられていた運動。初めて同世代の「同志」たちに出会う。
   12月 仲間を求めて初めてネットサーフィン。

2008年

1月 ブログでアフィリエイトサイトデビュー。
2月 ブログに私サイトの「掲示板」開設。利用者も、掲示板を機に一挙に増大。
 この頃、入門書を1冊読んでネット右翼となる。

4月 某ネット右派グループに一般会員として入学。活動停滞を打破するための「活動」。内部で盛んに「活動」し、レポートを機関誌に偽名で寄稿、事情を知らない人間を鼓舞する。当初の目的は達せられなかったが、3年間のさまざまな活動を経た視点で改めて「右派」という特殊空間を観察する機会となり、高山のネット右翼論のレベルは飛躍的に高まった。
6月 ミニコミ雑誌を出版する。
  秋葉原で「通り魔殺傷事件」。同志2名と共に「それでも起ち上がらない日本人」を非難する「不謹慎」な書き込みを電子匿名掲示板で実行。この行動を機に、オタククラブ残党およびネット右翼の一派が急激に先鋭化し、高山はそのイデオローグとしてめざましい活躍。
7月 オタクバッシングを「粉砕」。多くの者が暗黙の前提としているあらゆるテーゼを疑い、一一般人の立場で盛んに論争を挑むのだが、それだけで主催者側の意図する予定調和の集会は完全に破綻、野次と怒号が渦巻く大混乱に。一派の同志たちとともに同様の行動を全国各地のあらゆる「反PC主義」市民運動、とくに当時盛り上がり始めていた非寛容主義運動の集会等で展開し、その大半をやはり「粉砕」、「運動の破壊者」として憎悪され、恐れられる。
10月 童貞を失う。
11月 ふざけるな!資本主義運動を展開。

12月 年越しネットサーフィン敢行。

2009年

1月 年越しネットサーフィン敢行。ネット右翼の全国大会に参加。
4月 初代No.2が自主退会。全国大会以降そもそもあまり活動しておらず。

8月 ネット右翼サークルが自分ひとりになる。度重なる集会「粉砕」闘争などで孤立無援となって。この頃、右派系知識人や左派系知識人の著作を読み遅まきながらいわゆる「現代思想」に目覚め、保守主義を放棄。

 この年半ば頃から、それまで関心はありながら活動に忙殺されて手を出せずにいた文化方面の「勉強」を始める。
9月 『主体思想』執筆開始。中学高校時代からDPクラブ解散までの、高山の半自伝。翌月完成するも、出版元がなかなか見つからず断念。
11月 ネット配信開始。大学時代までの自伝をテキスト・音声にするも、数回で破綻。

2010年

1月 HP管理のボランティアに参加。ページは市民団体のもの。回を重ねるごとに嫌われる。
4月 原付免許取得。機動力を飛躍的に高めたものの、有効な使い道ナシ。
6月 個人誌『キムチ』精通。<反左翼、反民主党、反モンスター、反ヤンキー、反ギャルサー……>を掲げる「糞溜め」の産物。
7月 初めてコスプレをする。
8月 50ccの古原付を譲り受ける。非常時の交通手段として。

2011年

3月 東日本大震災・物見遊山ツアー。ヒッチハイクで「廃墟の街」を見物に行く。ヒューマニズムへの反感が行き過ぎてすっかりグレてしまっていたのだと現在では半ば反省。後にヤンキーも遊びメインの見物をしていたことを知り、複雑な心境に。
4月 東京で「左翼」と出会う。90年代後半の若い運動シーンを席巻した文化左翼ムーブメント。恥ずかしい直球スローガンを確信犯的に連発するダサカッコいいノリに強い影響を受け、新しい展望を得た気がする。
8月 フジテレビでネトウヨのデモに便乗。
10月 雑誌に投書を出す。
12月 TPP問題を知り、ウヨ離れが進む。

2012年

11月 転向。差し入れられた某書を読んで啓示を受け、「○○○○○」となる。「ファシスト」であることは内緒。
12月 某左翼組織に入る。

2014年

11月 左翼を脱退。

それは本当に「正しい」ものなのか?

2012年以降になってやたらニュースとして取り上げられていることがある。それが「バイク通学が公共交通利用者のクレームによって渋々解禁に追い込まれている」というニュースだ。
これに対してネットでは「交通事故を助長させるな」「一日のほんのわずかの時間がそんなに不快か?」「一部のクレーマーに屈するのはおかしい」という意見がほとんど…いやすべてである。

さてここで私が述べたいのはバイク通学の是非ではない(私はバイク通学解禁反対派だ)。何年間も守られている通学禁止令を、たった数人のクレーマーによって破壊されることを良しとはしない。
オリンピックの開催阻止のこともあり、こうしたクレーマーが表に出やすい環境にあるのは確かだろう。だが本当にニュースなどが報じるように「オートバイ通学を解禁する学校が続出」というほどの状況になっているのか?

そこでオートバイ通学を解禁している地域を調べてみたが、ネット上に掲載されているニュース元がすべて「群馬県」と「茨城県」なのだ。クレームによって解禁した地域はネットで調べる限りこの2つしか見当たらない。
この風潮に憤慨しているサイトはいくつもヒットする。だがその根拠となっているのは上にあげた2つの県のことばかりである。

他にもバイク通学を許可した学校は多い。だがその理由はクレームが来たからではなく、公共交通の弱体化などの場合がほとんどだ。

あとは自撮り棒使用の禁止も続出しているという。
これもネットでたどると、最初の報道は鉄道会社でのそれに集約する。ここでまずAが言及し、BやCが同意したことで大きく世間に広まったようだ。そしてこのネットの情報源は鉄道関連サイトのようだ。

さらに「鉄道施設内での撮影・鉄道オタク利用禁止」という話題も出ている。これもまるで全国に広がっているように拡散しているが、実際に確認できたのはJR東日本千葉支社だけである。それもクレームが来ていたわけではなく、乗務員のプライバシーに配慮するためというそれだけの話だ。

ほんの数件のクレームに屈して伝統をやめたことは事実である。だが、その実例となる報告がほんの数件の事例ばかりであることを知っておいた方がいい。
そもそも地方でのバイク通学許可は最近始まったことではない。もう5年以上も前に遡ることなのだ。最近のクレーマーの話ではないことを心に止めておきたい。

鉄道中毒をなくそう

改めまして、私は文筆業として働いております、高山直人と申します。先ほど、鉄道サークルのほうに退会に関する届け出をしてまいりました。ということで、この場で鉄道ファンの肩書きが失効になりますので、肩書きを外させていただきます。
私、高山直人が、強く願っていることはただ1つでございます。それは「鉄道中毒を、ぶっこわす」でございます。公共交通リテラシーが本当に低い。公共交通リテラシーが低いと大人はおかしくなってしまいます。その現実を考えるために、「鉄道中毒を、ぶっこわす」、そういう願いを込めて、文筆の世界に入りました。
生まれて以来つい最近まで、鉄道ファンとして生きていました。学生時代は、鉄道好きとしての青春を謳歌し、社会人時代の初期は、廃止寸前の夜行列車に乗りまくりました。今月付で、鉄道ファンを辞めました。その理由は、メーリングリストで外国人から日本人の鉄道中毒を糾弾されたことが原因でございます。約30年間、鉄道と言うものを心から愛していましたが、鉄道社会内部の腐りきった、特に倫理の問題。あまりにもひどい。多くのほとんどの国民や外国人の財産であり、その公共の場所に近い鉄道を私利私欲のために使っている人間がなんと多いことか。またそういった愚かしさを隠蔽する現実。鉄道ファンは都市社会に適応しているのではなく、まるで、鉄道を遊園地やテーマパークのように認識している人達なのです。私は、大の車嫌いでしたから、ストレスなく楽しめる、そういったとてもおいしい充実した趣味を辞めることには相当の抵抗がありましたが、鉄道趣味に居続けようと思えば思うほど、心の病に、どんどんどんどん身体がいうことをきかなくなりました。

鉄道ファンを批判したのは、本当に簡単なきっかけでした。翻訳ブログの記事を見て、日本の鉄道ファンのことが書いてある。この記事を読んで、ほとんど正解でありましたが、少し違うところがある。記事の作成者に匿名で連絡した。鉄道リテラシーにかんして言及したら、胸につかえていた何か突っかかるようなもの、引っかかるようなものが、さーっと晴れていくような気がしました。そして、自分がやるべきことは自分の身を守る、勝者のなかに入って自分も勝者の1人として生きていくのではなく、この現実問題をしっかりと鉄道利用者の皆さんに訴えていかなければいけない。しかも目が覚めた鉄道ファンや元鉄道ファンの人間が増えてきた。生まれて以来青春時代や若者時代を鉄道好きとして生き続けた人間として、鉄道の光も影も知り尽くした私がやるしかない。そういった思いで私はいます。

そんななかで、代表の私が、これ以上無機質に人生を過ごすよりも、しっかりとこういった活動、私が守りに出るのではなく、同じく日本国内でも相当の人口のある鉄道趣味の籍を投げ出してでも、皆さま方にお訴えさせていただきたい。それは鉄道社会による弊害を受けておられる人々が大勢いらっしゃるということです。これまでの私の批判活動は、受け身でした。鉄道社会の迷惑をこうむった方がネットで検索をし、私にお電話メールをいただいておりました。これからは、受け身ではなく、打って出る、能動的に行動をしていく。日本の鉄道社会というものが、前近代的システムのまま残っている、それが日本の都市の成長を支えてきた歴史がある、そして現在その弊害が出てきている。そして、1人は現状を投げ打ってでも、文筆家に打って出て、鉄道社会の問題を事後ではなく未然に、こんなことがあることを知っておけば、高山直人の存在を知っていれば――。

さて鉄道社会の問題、私どもが鉄道の利用頻度なるべく最低限にしましょう、そのように言っている理由、いくつかあります。まず1つ目、鉄道のインシデント件数が多すぎます。大都心では2日に1回はおきている。これ、あまりにも多すぎると思いませんか。これは地方の路線ではありません。大都市の大動脈でございます。
2つ目、鉄道ないし鉄道ファンのモラルが、あまりにも低すぎます。昔であれば女は迷惑者が怖くて満員電車に乗れなかった。しかし、鉄道での性犯罪が一時期より大幅に減った現在でもそういった対策に満足していない人間がほとんど。こういった交通機関に対して彼らは「どうぞご自由にご利用ください」。そこからも出るわ出るわ、モラルの問題。キセル乗車、無賃乗車、そして暴力行為、ヘイトスピーチ、危険行為、東京駅で記念切符利用者が駅構内で破壊を起こした事件が記憶に新しいと思います。何年か前には故意に無断で線路内に侵入したとして警察沙汰になる。鉄道ファンの中に右派シンパが多いのもネット上では話題になっています。1年に一回は倫理問題が取り上げられる鉄道好き。同じことが昭和時代にバイクライダーがやってどうなりましたか?1982年から2012年まで高校生はバイクの免許取得すら禁止され、1990年代~2000年代にはバイクバッシング漫画が流行しました。しかし今はこういったモラルの問題が解消されております。もう鉄道がらみのスキャンダル、社会問題は、ニュースにすらならなくなりました。やった者勝ちの状態です。このようなモラルハザードを繰り返す集団に付き合う必要性がない、これが2つ目。
3つ目、鉄道好きの人達、本当に危険な人、迷惑が大好き、苛め大好きという、こういったことが当たり前なばかりではなく、他人におらついたり、昭和の不良紛いの人間のような振る舞いをしたり、誰かのお世話になるような改造車を公道に走らせたり、ヘイトスピーチに係わるような右派勢力の片棒を担いだりと、本当に多くの相談、寄せられております。彼らを追い返すのは、ネットやパトロールなどの活動で、簡単に追い返せますが、会話をするだけでも逃げていきます。鉄道好きは左翼の人間というだけで逃げていきます。ぜひ皆さん、知っておいていただきたいと思います。他にも合理性感覚がおかしい。全国各地に公共交通としては価値のない列車が増えています。外国であればこのような列車はだいたい田舎町、大らかでも地方都市くらい。通勤ラッシュが常態化する大都市部に出すら乗り入れる観光列車。他にもおかしなことを多く行っております。もう鉄道社会の悪口を言い出したらきりがありません。こんな鉄道に必要以上にお金を払わなくてもいいように、2010年代にはバス、航空網の利便化が劇的に進み、東京にも自転車要らずの街が増加しました。

 

今年、動労千葉さんが怒ってらっしゃいましたが、そのとおりなんです。もう、はなからこの公共交通を娯楽施設として、鉄道好き、一般人もふくめて、そのような世論を誘導しております。倫理の危機です。何歩か譲ってご自身のお車・バイクであればかまわないです。常識と法や自己責任の範囲で。しかし鉄道というのは、そもそも公共施設の一員です。この件については、しっかりとSNSなどで声を上げていこう、場合によっては戦争の組織を立ち上げたりしようと思います。このような余りにもリテラシーに欠けるような、鉄道ファンに対しては、カウンセリングの開設をも辞さない予定でございます。
そして、この良識ある市民の皆さん、本当に日頃からしっかりとお仕事やお勉強をされていらっしゃると思います。殆どの専門学校以上の学校や大学・大学院はともかくとして高校生の通学目的などの例外を除いてのでのバイクやバイク免許所持は一部の都市部や低所得世帯を除いてOKになっています。いま、本当に必要な交通にたいする変革、私は需要分散、需要分散であると思います。目標唯一と申し上げましたが、もし私が政治関係者になるとすれば、免許取得者に対して、直接税の軽減をしたいと思います。彼らこそが本当のこの多文化共生国民の模範であると確信をしております。時代は――。

ありがとうございます。時代は、無条件の寛容と自由主義から不寛容主義と良識の時代です。ヤンキーが若者社会での正義の砦だった時代から、優等生と委員長とオタクが正義の砦に社会が変わっております。考え方、価値観が変わっております。まだ保守派のほうが強いでしょう。私がこんなことをして英雄になれると思っているのか。英雄になれるだなんて思ってないです。僕は馬鹿ではありません、それほど。でも、自分も迷惑をこうむるとわかっているそれにも、チャレンジしなければならない。そしてチャンスはこの2016年だけではありません。この先も、おそらくオリンピックや万博があるでしょう、2020年には間違いなくオリンピックもあります。ぜひこの、文筆活動家である高山直人の行動を見て、素晴らしい、私も、僕も、俺も鉄道中毒と戦う、そういった良識ある人になりたい――ぜひ、連絡をください。一緒に左派になって、現実と戦っていきましょう。

(ネタニュース)2018年で正月終了

関東地方1都6県では、2018年をもって正月を原則終了することを定めた、「正月3ない宣言」を含む関東市民憲章を決定した。

今回焦点となった、「正月3ない宣言」の内容は以下のとおり。正月に関するセール・広告の廃止、正月に関するイルミネーション・衣装の廃止、正月に関する行事の廃止。ただし、宗教上の理由に関するものに関しては例外となる。これらの背景には、正月がらみの犯罪行為などの悪用や、正月に首吊り自殺する者が後を絶たないという背景がある。

小売業界などからは経営を圧迫するものとして反発の声が上がっているものの、世論調査では、日本人の69%が「正月3ない宣言」に賛同しているとしている。これらの規制には罰則はないものの、正月を自粛した法人・個人に対して自動車関連税を最大20%、法人税を最大40%、所得税を最大60%、住民税を最大100%免除されるため、正月を自粛した方が有利になっている。

「馬鹿と言う人間が馬鹿」の本当の意味

よく幼い頃にこのような言葉を聞いたことがあるだろう。

「馬鹿という人間が馬鹿」

しかし、この言葉の正しい使い方を知らない人間もいると思うので、ここでは簡単ながらその本当の意味を考えてみたいと思う。

 

たとえば、いわゆる職業ライターがよく「ブ○ック企業云々」というような本を出すが、では、職業ライターは真っ白な職業なのだろうか?

労働問題的なものだけに限っても、ほぼ真っ黒である。

まず、一般に言われるブ○ック企業では(最低限ないしほんのわずかながら)残業代や休暇は一定の額は保障されているが、職業ライターは残業代の保障すらない。当然平日休日の概念もないので、一般人とは曜日感覚が大きく狂ってしまう。

極端な話を言えば、12月上旬が締め切りだったとして、10月は休みも適宜とることが出来るが、11月になるとそうもいかなくなり、11月下旬には休暇が食事時間と睡眠時間など以外何もないということもありうる。

ライターには上司も部下もいないが、取引シーンにおけるストレス要素は相応なものであろう。

ほかのブ○ック要素が思いつかないが、残業代とか休暇の2つだけをとっても真性のブ○ック職業ということを察せると思う。

だから、もし私たちが読者諸君に対して「過酷労働ご愁傷様ですww」と言ったら、「お前が言うな!!」と言い返せばいい。

 

要するに、馬鹿と言って良いのは自信が馬鹿であるときであるということだ。

不良大国でサブカルチャーの天国(笑)

最近私鉄が文字通り不良のたまり場になっている。彼らは鉄道オタクを名乗っているが、彼らの存在は有害無実でしかない。いい加減、日本国民は鉄道オタクと私鉄を排斥せよと思うが、自爆的思考の日本人は黙認が多いらしい。今現在では世論調査などで鉄道オタクには否定的な声が多数だが、うやむやのうちに既成事実化することが予想される。今までがそうだったからだ。
また鉄道オタクも常に右派や不良と足並みを揃えている。ならば右派の下僕になればいい。ノンポリのふりをして支持だけ集め、右派の補完勢力になるのは卑怯この上ない。

さて日本人は先進国の中では飛び抜けて不良が多い国だそうである。その割合は約10%。

過去に鉄道好きであったA氏が自身の不良経験を語っていた。

鉄道オタクでへんな人間と付き合って以来、不良にのめり込み、ついには右派勢力を知らず知らずに支援してしまった。
その上、ヘイト行為や半グレに手を出して、ついには少年院に収監されてしまった。高校中退にも至ってしまったそうである。

なぜか韓国人中国人台湾人など、知日的な人間ほど黙認する傾向にあるようだ。普段は「日本人は不思議だ!」などと口角泡を飛ばす連中がいったいどういう態度の違いなのかと思うが、不良のためには信念はいくらでも変わるものらしい(笑)。

鉄道好きや鉄道オタク自体は悪いことではないが、私は個人的にこの3つだけは交際の対象にしてはならないと考えている。

その3つとは「地下社会、公権力、右翼」である。

この3つは、まず依存性が強く出ること。そして本人を破滅させてしまうことである。わかりやすく言えば、宗教にのめり込むことは麻薬に浸る状態に似ているそうだ。「宗教は薬物中毒の始まり」という言葉があるが、これからは「鉄道好きは不良の始まり」と言いたい。
ギャンブルは勝った時のことしか覚えていない状態になるように、鉄道好きはポジティブなシーンでしか覚えられないそうで、こうなったら周囲が何を言っても耳に入らなくなる。

ところで、ネット空間では「威圧的なものを好む車・バイク好きこそ不良の予備軍」などという感情的な発言をしている。この連中、どんどん品性が劣化している。暴走族が健在だった時よりも卑しくなっているのではないか。

快感にしか価値を見出さない者としては鉄道好きも理解できるところではあるが。

日本の鉄道公共交通が落ちぶれた原因は旧態依然と融合した「サブカル共同体」にあり

趣味離れ、娯楽離れ、過激派化、つまり「大衆文化の総敗北」が濃厚になっている2010年代だが、なぜこんなことになったかというと、その原因は今の大衆文化を見ればわかる。サブカル臭さが酷すぎる。

たとえば朝日新聞の「ひと欄」は以前は各界有識者のみが出てきたが、今ではお笑い芸人やネットがらみのうさんくさい人間が平気で出てくる。オピニオン欄でポストモダン芸人がだらだらとサブカル無駄話を開陳することもあるし、社会面や時事の硬派な話題に無理やりAKBをねじ込むことも多すぎる。

最近の鉄道を見るとやはりサブカルであることに気づく。「公共交通のことを考えていないようなあからさまなネタ消費」みたいなコンセプトであることが多いし、鉄道オタクの間でも賛否が分かれている。ネタ消費要素を抜きにすると、どれも恐ろしいくらいマンネリ化している。

JR九州などの私鉄が国民に嫌われる原因は旧態依然と融合した「サブカル共同体」にあるということに気づく。これはもっといえば「平成の健全なカウンターカルチャーの敗北」に原因があるのだ。JR関係者も鉄道オタクはその辺しっかり認識してほしい。鉄道オタクが叱らなかった結果今がある。

「JR」は古典私鉄を殺せなかった

1990年代になぜJRが社会現象になったのかを思い返してほしい。それは、国鉄時代にはありえなかった洗練性があったからだ。既存の私鉄のそれよりも良い意味でずっとあか抜けていて、新しい時代の新しいセンスがコンセプトに、車両に、駅や営業にふんだんにあった。

JR東日本の列車は1990年代の私鉄と異なるパラレルワールドのようなものであり、「こういう未来だったら楽しいよね」という提示があった。そのくせ、並行する古典私鉄は古典的そのものであったと記憶している。

当時を振り返ってみると、JR東日本の列車と東武の列車は同じ国の同じ時代の鉄道とは思えなかった。普通車の混雑ぶりに特急を利用したトラウマのあったのが記憶する最古の東武鉄道利用だが、車両もダイヤも運賃も妙に昭和臭かったと覚えている。今見ると、やっぱり古い。玄人ホイホイである。

通常の常識で言えば、1990年代の時点で以前から進歩がなく、玄人ホイホイの古典的な古い私鉄こそ、2016年にはとっくにJRに負けている必要がある。しかし現実を見ると、JRのほうがよほど敗者依然そのもので古典私鉄の下僕みたいな感じである。

今の鉄道交通(特にJR)はサブカル臭いのである。それは観光列車にヤンキーがやたら没頭する気色悪さを見ればわかる。車両もやたらけばけばしい。JR東日本も観光列車重視でサブカルだ。サブカル、サブカル、サブカルなのだ。

JRがこのような体たらくになった原因はまさにそれである。車社会の横暴に怒りを爆発させてJRを作ったはいいが、それよりもさらに華やかで洗練された未来を提示できなかった。そのすきに淘汰されるべくベタをサブカルが乗っ取ったのだ。

ポスト車社会が死んで国鉄が生まれ変わるという顛末

1970年代を振り返ってほしい。私は詳しく勉強していないが、当時は陸上交通界にパラダイムシフトがあった。不便かつ安心と信頼の鉄道中心から、便利な交通手段である自動車へのスタンダードの転換があった。これはまあよかったのである。問題はその後だ。

道路交通は「質の高い車両や道路であり、時間帯に邪魔されない公共の交通手段」であるべくインフラのはずだった。しかし例えば今の地方の幹線道路でとくに休日のそれを見てほしい。ほとんどが遊び場である。そして車両は腐れ改造車で、ポスト珍走団仕様車さえある。これじゃあ車社会が滅ぶのも当然だろう。先祖がえりする地方である。

鉄道はどうか。実は鉄道は、本当なら経済成長や社会発展と共に合理化されてよいはずなのだが、2000年代以降一気に「ポスト1930年代化」している。第三セクター鉄道もそうだが、とにかく明治時代の鉄道網を目指すかのように鉄道会社数がインフレ化している。何よりひどいのが東北本線沿線だ。

サブカル臭い観光列車が旅客船を走る光景が今や当たり前なのだ。西日本ですら私鉄はレームダック化が進んでいるようだが、東日本では逆に息を吹き返している。鉄道オタクがヤンキー化している。これは悪夢ではないか。

で、西日本の私鉄社会がそのまま東日本に横流しされるように、大阪病が東京に転移し、旧態依然を掻っ切るべきカウンターカルチャーが「サブカルという衣をまとった旧態依然」によって潰されたのである。これがすべての原因だ。

日本的古典性と権威を「サブカル共同体」は乗っ取った

2000年代の鉄道におけるサブカルはまだましだった。日陰者らしい、ちっぽけな空間にあった。都市部でも精々東京から離れている地域を走る私鉄線とか、世間から忌憚される空間にだけあった。当時のメインカルチャーが、今、死に体なのである。

つまり「1960年代以降」のメインカルチャーにあったカウンター性、国鉄的なものを拒んだ発想。封建時代を連想し、日本的古典共同体を連想し、何より国鉄という権力を拒否した、あの健全な「よりよいものを求める」発想が、今風前の灯火にあり、日本の鉄道界隈が腐っている。

結果公共交通的私鉄の最底辺がJR九州(ついでに西武・近鉄)で、最も好かれているのがあのポスト国鉄こと東武JR西日本(もしかしたらJR北海道JR東海名鉄・南海も入るかもしれない)である。特に、JR東日本・東海アンチを受け継ぐ懐古趣味の人たちは、本当にこの現状を危惧されたほうがよいのではないか(笑)。

日本的古典性と権威を団塊以下の大衆が拒絶したのは良かった。それに代わる文化を作ったまでも良かった。しかしそれが息切れした時、ちょうど世代交代を迎えた「国鉄的なる存在」が、隙をついてサブカルに乗っ取られたのである。サブカルたちには平成前半(もうじき平成は終わる)の主流文化へのルサンチマンがある。

それはいわば、ネットジャーゴンを見ればわかる「リア充」叩きというやつだ。1999年以降のネット原住民空間が嫌悪したスタンダードの文化が今は瀕死状態にある。ネット原住民は逆張り変態なので、みんなが軟派なJRを楽しんでいた時にお堅い国鉄を求めていたような天邪鬼である。なので、こうなってしまった。

昔は1億総スタンダードだった「日本的古典性」と、多くの国民が知らなかったり知ったところで気持ち悪がったゲテモノである「サブカル」とをくっつけた要因は世代交代だけでない。両者に共通しているのは畳精神であることもあえて注目したい。

とりわけ1960年代の第一次モータリゼーションあたりから、「日本的古典性」を脱する上で重要な要素が「欧米を見習う」ということにあった。畳文化のウチと相反するヨソの国で、しかも土足文化である。そういう遠くの西洋の、より主流的で、より最新のものを本場流で取り入れ、あるいは見習った回路があった。

つまりサブカルのいくつかの「リア充嫌い」の人たちは、心ではそのつもりでも本当は「鬼畜米英」的な西洋嫌いに過ぎない場合もあるのである。珍走団が元はアメリカ文化のくせアメリカ的要素を拒絶し、反権力よりも御用を求めたがる特殊人間ばかりなのも同じことである。だからガラパゴス化してしまった。

本来であれば、団塊世代より以上の世代と以下(20世紀型オタクを除く)の世代を分ける最大の要因が、畳の上で死にたい願望の有無であり、畳精神を脱却して外来文化を求めることが現代の特徴だったが、サブカル層に限ってはそれが例外だったわけである。その田舎者らしい「保守性」が今、極まっている。

外国を見習えという理由はまさにここにある

私はよく「外国に抜かれる日本」の現状を憂いている。特に2000年代以降は、日本の中にあったスタンダードの発展の流れが、アジア辺りにそのまま転移しているように見える。そう感じている人は自分だけではないはずだ。2000年代までアジアは日本を手本にしていたが、今では欧米を見習っている。

よくネトウヨが中国や韓国を見下す理由の1つが、かつて中国や韓国は日本を手本にしていて、それがパクリだといわれたからだ。しかし日中韓の文化を見ると、日本の文化は2010年代を境に中国か韓国の後追いになり、欧米水準を見習った流れが消えたのに、中国韓国はむしろこの時期から欧米を見習っているのだ。

中国韓国は嘗ては鉄道は社会の嫌われ者だった。鉄道好きと言うだけでとんでもない差別を受けていたこともある。今はそれと間逆だ。欧米と同じ鉄道サブカルチャー浸透国で、近未来的な技術などにも挑戦しているように見える。

日本における鉄道カルチャーは本来「中国や韓国と違い、むしろ大衆にも受け入れられている」のサブカルチャーだった。なので公共空間でも流せた。しかし、今の鉄道好きは露悪趣味だ。一方、中国と韓国は、2010年代以降の方がよほど寛容的になっているのであり、ここも違った。

ポストモダンの人たちはよく「車カルチャーの時代が終わったのは新自由主義の影響だから」と思い込んでいて、鉄道が大体の文化であるかのようにはき違えている。しかし現実は間逆で、最低限インフラに関しては何から何まで日本より先んじて日本より秀でていた。その中国と韓国が今公共交通強国になっている。

ポストモダンたちは、マスカルチャーを見下しながら、けっきょく自分たちこそ死に体の日本ローカルのマスカルチャーを率先して乗っ取って、その権威主義があるのではないか。主流大衆は今も昔もサブカルには無関心である。反社会的みたいな存在がのうのうと生きている現実を納得できない人は多い。

2013年を元年とした車社会ルネサンスは、特に大衆層でリベラルな存在が、欧米を見習った鉄道社会が日本国内にないから仕方なく昔のソレを代替物として用いたものではないかと思う。なので最近のサブカル好きには車・バイク好きを兼ねた人がものすごい多い。2000年代までのサブカル嫌いは現実を知らないのである。

ちなみに今のサブカル文化をリードしている外国の大人たちは、日本だったらそれこそ初期サブカル世代かもしれないが、民主化運動の世代だ。軍事政権を打倒し、民主主義を勝ち取った当事者なのである。独裁者の所有物だった古いマスカルチャーを破壊したのも彼らである。

今の日本で必要なことは、「暴走族旋風」で不良が自動車・バイクサブカルを支配したような流れに起因するポストサブカル化する旧態依然サブカルと同じような一連の流れを断ち切ることである。タイトルにある鉄道の場合、観光列車を公共交通から分離することで、鉄道のサブカルを適切な位置に戻す流れを作らなきゃいけない。