ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

日本でアニメを用いたサブカルがやたら増える理由はオタクへの寛容性のなさに原因あり

日本のサブカルが「アニメすぎる」という問題。単純に文化的寛容性がないんだと思う。外国のサブカルと比較してみれば気づく。バラエティに富んでいる。日本のは明らかに陳腐すぎる。

鉄道も日本だと何かにつけてデザイン性を出したがる、ラッピングか、ぼったくるか、オタクに迎合するか、まあ手法がワンパターンだが、外国だと普通に中身の改造を伴ったものが主流っぽいし。

以前ドライブやツーリングに付き添ったときには大都会の寂しさと、目的地に着いた時の爽快感のギャップがすごかった。先進国レベルに近い高度な文化性があるんだよね。

あと不思議なのが日本の芸能に多いのが貧乏人が出てくるやつ。たとえばドラマ。確かに非富裕層が多数でも、日本は世界有数の経済都市だから、むしろ富裕層が出た方がイメージしやすいのではないか?

それに比べ外国のドラマはどうか。例えば中国や韓国のそれは、富裕層と非富裕層との葛藤が描かれている。これがわが国の日常風景ですよということを、堂々と宣伝している。

どうも日本のドラマは、こういう側面のものが弱いと思う。日常を差し込む場合は明らかに単調な映像だし、そうじゃなかったら出てくるモデルは貧乏人。そしてサブカル≠アニメだけなのに、アニメのイメージで釣るという手法の横行はあまりよくないと思う。

 

それからJK☆Bや昔のバイク漫画の炎上した奴で思ったのだが、暴走族が滅んだ今なおもバイクに対するイメージの悪さがあると思う。マイナスイメージも克服できていないのに、3ない廃止とかあったけど、道路社会に適応しようと思った人間がどれくらいいると思う?

これも道路がらみの話で、最近都市部で公共交通の利用回数を調整する運動が広まっているけど、こういうその場しのぎのことしか対策が出来ないのだろうか?

 

ネタ消費×アニメオタク=オタク文化の表に出てくる部分みたいな図式ができあがっているとしたら、そんな陳腐なものを過信する連中が多いからオタクがどんどん突っ張ったり成り上がったりするのだろうという「自己責任」論を私は唱えたくなるものだ。

私は何も「サブカル=しょせんアホなんだからカッコつけんな」という発想の持ち主ではない。むしろ逆で、サブカルはミーハーで馬鹿でナンボみたいな前提のもとでネタ消費とベタに走ってる風潮がよくないと言っているわけ。みんな「ポストヤンキー」精神なんだよなあ。珍走団すらとっくの昔にいないのでもはやヤンキー精神自体ダサいのに。

最近復権しつつある据置機・携帯機ゲームやPCゲームは、クリエイティブな表現に富んでいる。とても凝った作りになっていて、いい。

一方、ソシャゲをめぐっては、のっけからギャンブル紛いのゲームが出てくることにPC主義者から批判が殺到して炎上した。そしてこれ、ギャンブルを抜きにすると、陳腐化したサブカルのあれこれを掛け合わせ、映像などを楽しむだけというヤンキー文化要素しかないという代物だった。

ヤンキー文化の乱用に対しては、アダルト表現っぽいとかギャンブルを連想するなどの政治的公平性の観点から批判もあるが、そもそもそれを抜きにしても、やっぱり陳腐すぎだ。この手のオタク文化クリエイターはネタに切れると「手間のかかりやすさ」や「難しさ」に頼るいうが、最近はあまりにもアニメ頼みになりすぎだろう。