ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

日本サブカルを再建する唯一の手段は「中心軸を日本から追い出すこと」だ

日本のサブカルの消費中心地はもはや日本ではないということは多くの人が分かっていることではないか。外国で日本のRPGが大ヒットしたのはその代表例である。何一つサブカルチャーを持たない途上国の、その中でも何もない国が大賑わいである。

この催しは、家庭用・携帯機型ゲーム好き以外にとってもクオリティは興味深いはずである。ソシャゲ最大の消費地も中国なので、萌え系・硬派系問わないサブカルの外国人ファンを網羅的に囲い込めたのが、人気の秘訣ではないかと思われる。

サブカルがそれまでのポップカルチャーサブカルチャー(Subculture≠Sabukaru)と大違いであることはまさにこれだ。ポップカルチャーサブカルチャーの場合、その生成される場所や発信地は同じ国内である必要がある。例えば私鉄文化の最大の生産地と最大の消費地は共に日本であった。

つまり消費をするには地元住民であるほうが有利で、あるいは地元在住でなければそもそも体験が不可能な場合も多かった。人口やカネが多く集まって初めて成り立つ趣味や、決まったの環境でなければ成立しない娯楽がいくらでもあった。サブカルは例外なのである。

ネトゲ的手法に限らず、外国人が国際サブカルに絡んだまちおこしをするケースは、例えば韓流サブカルなら韓国より日本やアメリカの方が圧倒的に多い。サブカルのPRのための特設ページや動画、マスコット作りなど、どれも日本人ほど苦戦気味で、外国人であるほど上手である。

オタクやネット原住民ではない人のためのサブカルもそうだ。国際的なジャンルでいえば「ロードバイク系」は欧米の文化だが主に日本を含むアジアが消費のメインである。最近放送された例のアニメもやはり日本が舞台だ。オートバイだって台湾や中国や韓国のものが日本で消費されている。鉄道文化が地産地消であるのとは違う。

最近のバイク・自動車趣味消費が昔と違うのは、広い視野を持たないことだ。むしろ逆で、地産地象文化に疎い人たちほど好むものである。それはいわば、かつてのバブル時代とか、ポストバブル時代への逆張りである。

普通のモータリゼーションは、自動車に関する敷居が低くなるもので、風景は不変である。しかし、日本における車社会は文字通り、日本特有のロードサイド・ファスト風土か現象が起きる。motorizationとKurumashakaiの違いはまさにここだ。

私は首都圏在住の上に育ちが大阪などの都市圏なので、車社会文化にやや疎いのだが、これらは日本型に当たらない。神奈川県だけとっても愛知県同様に早い時期にモータリゼーションが発生したが、鉄道の廃線等は鉄道空白地帯がもともと多かったこともあって少なかったことは有名である。

昭和時代の国内系自動車バイクメーカーや国内・国際志向のメディアを中心とした街空間やそれと一体的なメディアによって作られた車・バイクブームの流れと現在のネオ車・バイクブームが完全に矛盾するのは、没国籍性である。国籍にこだわる必要性がないのでカオスになる。

日本サブカルの中心軸を日本から追放すべきではないのか?

私が本当に不思議なことは、サブカルには国内である必要性は何も無い。にもかかわらず、なぜかその発信地・中心地が国内にあることだ。これは本当に無意味なことで、もったいないことではないかと思う。これを外国に移すことさえできれば、労働問題などの逆風に悩むサブカルは、活性化が実現するはずだ。

大学生のみなさんは周りを見渡してほしい。今時外国カルチャーが好きな人、みんな日本出身者ではないか。だって今の若者、昔からの日本人にとってはサブカル系が内向きだった時代は自分が幼い時で、年の離れたきょうだいや場合によっては親の世代の文化だろうに。

どうしても国内でないと成り立たない文化はある。例えば内向きなもの。ヤンキーニズムが日本固有の文化であるがゆえに、外国では成立しないから、数を集めても日本に疎い人は存在しないことはしょうがないことだが、例えばオタクはそうでない。

帰国子女の先輩で「某アメリカ産ゲームファン」がいた。先輩によるとかつてそのゲームは日本にはあまり縁のなかったものだったそうだ。ipadなんて存在していない時代の文化だ。ipadはアメリカ、アジアンゲームは中国や韓国のコンテンツで、どちらも日本は無関係だ。

しかし今、東京のメディアが、東京の広告代理店がやたら日本のサブカルを出しまくっている、「日本しか通じないもの」であるかのように装っている。サブカルの現実を知らない外国人ならそう勘違いする。これは非常に、韓国サブカルを愛する日本人にとっても日本サブカルを愛するアメリカ人にとってももったいないことではないか。サブカルの消費・生産地を分離すべきだ。

オートバイだって一人でできる趣味だけど、そもそも免許とカネと十分な道具があって治安などの余裕がなければできないので、首都圏では当たり前に定着していても道路治安の悪い一部地域では敷居の非常に高い娯楽である。がサブカルは、情報手段さえ入手すればどこでも消費できる。「一人で鉄道旅をする、バス旅をする」ができればいい。

日本でのサブカルの消費環境が最も充実しているのが日本というのは、本当に無駄ではないかと思う。序でに言っておくが、今時の日本でオタク系のバイク消費者の若者の人間を見つけたためしがない。リア充はいても、もっと凝った文化、その道の達人っぽい人、悪く言えば変態みたいなのが大半で、オタク道と最も無縁だ。

例えばバイクオタク向けイベントが郊外や地方で開催され、そのイベントに全国いや世界の消費者がチケットを求め、車両がフェリーやトラックの車両輸送便などで、参加者が飛行機やフェリーや高速船でやってくる。しかし、その会場の目下周辺に実際に暮らす「生粋の江戸っ子」たちは、そんな情報を、若者でさえ知らない。この矛盾、ずっと引っかかってるものがある。

私はこれまで日本サブカルやマイルドヤンキーなどをしつこく指摘したが、長所があるとすれば土地や環境にこだわりがなく、外国であっても不都合はない、むしろ外国ほど消費地に近いので盛り上がりやすいことではないかと思う。それはかつての韓流と日本のアニメ文化を見ればわかる。普通のカルチャーなら、外国くんだりまで行きたい人はいない。

しかし「マイルドヤンキーかぶれの日本人」みたいな連中こそが、まさに日本サブカルの日本国内でのメーン消費者なのである。これも事実だ。そして現状、リア充が最も日本サブカル情報感度が高いのは、サブカルでありながら大衆に知られている文化であること、頑張れば短期間でイベントに行けることではないかと考える。

たとえばだが、TPPFTAが発動する際などの取り組みによって「生産国外ほどその国のサブカルに有利な状態」を作為的に促すのはどうだろう。日本であれば、私鉄における不動産のようなサブカル系ビジネスを地方程優先的に行うようにし、それを実行した企業を優遇するとか、スクリーンクオータならぬサブカルクオータ制を作るべきだ。

都市部の人たちが車やバイクを羨むのは、何もサブカルチャーを求めているわけではない。むしろサブカルチャーは「DQN(マイルドヤンキーの意味)の次に低品質」なので嫌いである。単に、所得環境が都会程いいからだろう。

本来日本の「私鉄文化」はシティーカルチャーであるが、地方の鉄道が私鉄文化を取り入れた鉄道会社の収益が増加するようになったという。ネット時代で、情報や物流に地域格差がなくなったとされる今だからこそ、あえてその地域差を、地方優位になる形で作るべきなのである。この場合、都会程ハンデを作るべきだ。

日本人と在日外国人の文化分離が進んでいる

鉄道カルチャー好きの在日外国人に親の趣味を聴くと、アメリカ文化だという。ガレージに行くと、若い時代の血が騒ぐのが彼らで、親の子が(日本人から見て)ギャルサー臭いのも親譲りでしかない。

一方、日本人の若者は、昔ながらの鉄道カルチャーとかおたく文化みたいな、そういう昭和のカウンターカルチャーの流れがあるからこそ、親の世代とは異なる文化を好むのである。私の感覚知的には、首都圏の日本人の若者は公共交通カルチャー消費も露悪趣味消費も無関心で、オタク志向が高いと思う。例えば在日外国人の人間は最近日本で流行のオートバイカルチャーに疎いか嫌いだ。

1990年代~00年代前半の日本産で日本で消費されたサブカルの象徴でもあるJR・都市私鉄文化が前は国鉄文化だったというのと、地方私鉄系のそれは似ているかもしれないが、でも例えば都市部のJRや私鉄で云うところの京急名鉄や京成はJR九州のまねをしなかった。表現はともかく構造はサブカル階層が日本限定の昭和バイク文化を現代風に改良したのと似ているかもな。

いずれにしても昭和のその文化は、いわば「日本のご当地」だった。それは「ご当地文化生産者」がいて、地元の生身で体験する消費地やイベントと連動性があったのもそうだがメディアも違った。1980年代の日本のオタク文化とかサブカルも日本ローカルだったし、アキバ系シブヤ系も当初日本限定だった。

なぜ日本人が日本の鉄道カルチャーから離れたのか。いま鉄道を楽しんでいるのは外国人か帰国子女か一部のオタクしかいないし、外国のサブカルを手本にしているサブカルオタクの生産者に話を聞くと肩身狭そうな印象があるんだけど、その理由を考えると、時代が変わった以上に昭和の時代と違って収束化が進んでそもそも進歩できる余地がなくなったのも大きいと思う。

逆に外国産のサブカルの場合は、日本では発散状態で、まだ歴史の浅いものが多いので、革新的なことがやりやすいのかと。例を挙げるが、現代のバイク文化は地方でも収入がない者にとっては成り立たなくなっている(地方から都会の順に珍走団や日本の伝統的裏社会が滅んだのも恐らく地方の貧困化が原因ということに似ている。)のだから比較的カネの余っている人間に浸透している。

少しでもの昔とは逆転していて、しかもであるとは思うが、大学生などのサークルにおいて例えばオートバイ好きサークルは都市部出身者で増加傾向にあり(オタクと言うよカルト集団的に影が薄く、変わり者も多かった)、鉄道サークルは地方を中心に増加傾向にあるのは、つまりそれだったんじゃないかな。

とにかく、「地域文化」や「主流文化」を一括りにするポスト20世紀型の発想いい加減やめたほうがいいんだよね。昭和なら、地方の存在を無視して東京で勝手に作って東京で消費する文化だけを誇張して伝えられたけど(それはそれで問題であったが)今、東京で生産して地方人を中心に消費されているのが日本の都会の鉄道消費文化の現実だ。

東京の鉄道文化の最大消費者が神奈川県住民であってもいいように、日本の文化の最大消費者が日本人である必要はない、むしろ外国人ほど都合がよく、以前のような日本文化と違って外国に持ち込むのはダサいと敬遠されることもない。それが日本産のサブカルであれば、その消費者序でに生産者も外国人に移すべきだし、明日にでも日本のサブカル産業を一度まるごと全部、外国人に跡を継いだほうがいい。その文化が活性化する最善の手段だ。

例えば、韓国は一回韓国産サブカルの色を全部消した方がいい。空っぽにして、国産サブカルを抜いた韓国に何が残るかを一度世に示すべきだ。それが実際に韓国人が作ったり楽しんだり愛している文化なので。本当にその辺を考えると、今の日韓の現代文化の醸成には嫌悪感しかない。

極論を言えば日本の私鉄社会はアメリカでも成り立つ

たとえばTPPが発効された時、あそこで幅を利かせている鉄道は土着資本の鉄道くらいしかなく、いまさら車社会に戻りたい地域もないし、仮に日本型の都市私鉄文化がアメリカ人の気まぐれで受け入れられても、常識的に考えてそれを輸入する手段って何もないわけだけど、もしこの文化に国際的な普遍性があれば話は別よね。

もしもアメリカに日本型の都市私鉄が進出できれば、多くの日本人鉄道オタクがアメリカを訪問するよ。ワシントンの地下鉄が日本の私鉄に買収されれば、バスや地上鉄道との競争も激しくなる。こんな正夢他にない。これって本当にすごいことだよ。

アメリカの人口分布は日本より格差が激しいので、人口が少なくてなおかつ田舎だからできるビジネスの殆んどは不可能で、民営になるから運営が不安定になるけど、民営だからこそほぼ自由な運営が可能なのが私鉄文化の強みなので、だいたいこの問題もないし、それこそアメリカで成り立つ日本原産の産業や文化の一つではないかと思う。

すごい非現実的な話をすると、アメリカには旅客鉄道の鉄道なんてほぼ寡占状態だし、鉄道運営を目指したいエリートは日本の都市私鉄を一度視察すればいい。どうせ同じ新自由主義の国でしかもアメリカでは失われた産業だから、日本におけるそれをアメリカナイズすればそれもアメリカでできるし、富に余裕のある都市部では大きな問題さえもない。

今日本で流行の観光列車も、あの運営の土壌だって、その土地発である必要はない。人種の違い、文化の違いなど関係ない。大学生時代に動画サイトで豪華列車が定期的にJR線を走っていた時代の様子を見たことがあるが、車両の内装は日本かぶれしているし、ルーツはむしろ欧州の夜行列車だと知って驚いたのだった。

東京・名古屋・大阪・福岡にある都市私鉄文化・都市私鉄ビジネスをそのままアメリカに輸出せよというのはさすがに極端なことだが、でもそれでも成り立つ。社会主義国でもないし、そもそもアメリカの新自由主義自体一時期日本でも受け入れられていたのだから。まあ現代は新自由主義自体かなり下火になっているけどね。

とにかく日本は日本のあらゆる国産サブカルを独占しすぎで、それにもかかわらず、一番の外枠を今は国産サブカルがコーティングしているがゆえに、国産サブカルばかり露見しやすくなっていて、結果的に日本特に東京の文化的豊かさや可能性さえ削いでいることが、JAPAN嫌いの日本萌えとしてはムカつくの。

と同時に、文化的主体性を失い、産業を失い、衰退しきりの日韓の問題を憂慮しているので、日韓サブカル系事業者の国際化を促し、「国際化はポップ・サブカルチャーだけでなくサブカルも逃げられない」という当たり前の常識を確立することが、外国にとって産業面でも文化面でも大きな価値があることも注目している。

日本の車社会については厳しいこともツイットしたが、それが今までにない、いい仕事をしたと思うのは外国にその子孫を残したこと。とくにアメリカやヨーロッパといった日本以外の地域(というとネット原住民に突っ込まれるようだが事実なので)に自らの種をまいたことは、親の日本が死んだ時の保険になるだろう。

バイクの趣味文化もいい加減日本の地方を撤退して都会とかで復活させたほうがいい。「地方と言えば車、都市といえばオートバイ」みたいな分業ができるだけでも、日本の自動車・バイク業界は都市・地方ともに異なる共栄ができていい。選択肢は多い方がいい。