ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

gudachanへの追憶?

●gudachan(ボンダイ) *消滅
 2013年3月27日開設。2016年1月28日消滅。
 最後はサブカル批判・民主主義に対する意見・大学の多様化について・地方批判が存在と、広範囲にわたってコーナーが残存していたが、これでも既に大幅にコーナーが廃止されていた。
 さらに本人がブログから撤退することを表明し、有志が引き継ぎを申し出たものの、本人の意向で消滅が決定。 海外の話題や、鉄道の話題など、実にバラエティ豊かな車両が走っていたが、見納めになってしまった。
 
○問題点
 もはや廃止ということで改善の余地無しとなったが、最大の問題として動画と広告がないと言うことである。ブログのないようは動画化できないほどに乱雑となっている。これで今まで存続をしてきたのが不思議なぐらい。パターンも少なく、お世辞にも丁寧には作られていなかった。
 それでも読者の一部は2ちゃんねるでのリア充の現実の告白や、naverの整理などを進めていただけに、ブログ閉鎖には市民団体による不良(ここ1年間珍走・走り屋・珍古会、不良少年少女ともにみない)・リベラル(最近は左翼本はあまり出さないらしい)・右翼(ブログや動画でのペナルティーが科せられるようになった)切り捨ての疑念もある。ついでだからnaverや書店そのものも圧力をかけてgudachanをnaverから、彼らの好む書籍をお店から一掃してしまってはどうか。きっと善良な人間とコスモポリタンだけの素敵な日本になるだろう。
 冗談はともかく、gudachanブログ追放については、継続性のないの一点張りで、大した大規模化へのシミュレーション等が議論されなかったところに問題がある。しかし、naverだって要望や稼ぐ意識があれば多額の時間やコストが必要とされる。なぜブログだけ、目先の問題にとらわれて閉鎖ありきで議論が先行したのだろうか。
 閉鎖にするのは容易だが、一度失われた文化を再生するのは非常に困難である。プロバイダー、いや、gudachanは、こうした点を考慮した上で公開停止という決定を下したのだろうか。疑問だらけの閉鎖劇であった。