ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

【緊急】日本のポップ文化の再生を考えよう

最低ですかー?

最低ですかー?

そう、最低だ。

我々が生きているこの社会の状況は今、最低最悪だ。そのことを誰もが理解している。

だからこそ、どいつもこいつも運動を訴える。

だがそれらは皆必ず失敗する。状況はもはや小手先の活動でどうにかなるような、そんな甘っちょろい段階にはないからだ。

今必要なのは、もっと凄まじい、「革命」、或いは、「衝撃」である。

現在は文化氷河期に似ているとも言われる。文化運動を掲げるクリエイターや芸能人の中には、往年の文化の代表を気取る者も少なくない。だが彼らは、一番肝心なことを忘れている。

ポップ文化は大衆文化に直結したのではない!

そもそも大衆文化は、ポップ文化のアンチテーゼである。多数派ありきが前提のポップカルチャーにおいて、可能な効果は精々、「ちょっとだけ赤色」か「ちょっとだけ紫色」といった、生温いものでしかない。今必要なのは、「ものすごーく赤色」か「ものすごーく紫色」といった、とにかく根本的な革命であるというのに、大衆文化の枠内ではそれが出来ないのだ。

赤であれ紫であれ真のポップ文化を志向する者は、大衆文化のシステムに依存しない変革の道筋を見出ださなければならない。

諸君の中には、未だに私をヲタクだと誤解している者も多いようだ。改めて言っておくが、私は現在リベラルであり、明確にリア充の立場である。

その上でまず、オタクの諸君に問いたい。

私は、日本社会の貧困化の進行に対する懸念を諸君と共有するものである。だが諸君はそれを一体どうやって阻止しようというのか。社会の貧困化の進行を嬉々として推進しているのはむしろ大衆自身である。それは大衆が道徳に煽り立てられた結果に過ぎないと諸君は言うかもしれない。しかし、煽られたものであろうとなんであろうと現実は現実である。諸君はもはや大衆文化の一部たるオタク文化を否定しない限り貧困社会化を阻止しえないし、否定すれば諸君はもうオタクではない。

このジレンマを、諸君はどう脱却するつもりか。

貧困社会化の阻止という課題を私はむしろ非オタク系の諸君に定義したい。サブカルチャー共同体がしっかりしていればオタクを大衆文化にまで持ち上げるなどいらなかったはずだ。それがやむを得なくなったのはサブカルチャー共同体が壊れてしまったからだ。オタクを大衆化させるなどという対症療法より、共同体を再建するという本質的な解決が志向されなければならない。

同化を強要する社会より、アイデンティティを尊重する社会の方がよっぽどマシだ。

貧困社会化の進行もむしろサブカルチャーの諸君にとってこそゆゆしき問題ではないのか。貧困社会の拡大は、サブカルチャーの人権を破壊するからだ。

オタクの諸君はよく理解しているように、現在ほとんど全ての問題の元凶はいわゆるファシズムである。右翼主義の全面展開こそが全ての元凶である。

オタクの諸君にはよく思い出して欲しい。不良を名乗った20世紀のサブカルチャーは、ハイカルチャーのみならず大衆文化をも批判の対象にしていた。そして重要なのは、ラテン主義の失敗が明らかな今オタクはファシズムをただ批判することしか出来ないのに対して、我々にはサブカルチャーという代案があることだ。

通勤ラッシュ時の道路を高校生や大学生の通学オートバイが走る均質な風景と、それらに依存する画一的な生活スタイルが国中を覆い尽し、日本固有の伝統的な文化は破壊されていく一方だ。こうした時代の横暴に対抗しうるのは弱者をおいて他にない。にも関わらず、現在の我が国の弱者は「時代の横暴を規制する」という役割を放棄し、左派だろうが右派だろうが要はファシズムの手先に過ぎない!

そのような現実は打倒しなければならない。

そして、ファシズムからの離脱を志向する真のリベラルは、弱者を掌握しなければならない。

その方法として、大衆に期待してはならない。我々は大衆に依らない革命的な文化運動、「カウンターカルチャー」を志向しなければならない。

そのヒントは、2010年代の秋葉原系にある。国民の大多数が共鳴した2000年代電車男ブームとは異なり、オタクのわずか4割にも満たない部分が決起したに過ぎないサブカル運動は、良識を否定し、アウトロー的な直接行動に訴えて、少数派であったにも関わらず社会をあれほどの大混乱に陥れた。

彼らの限界は、彼らがオタクの枠内に留まったところにある。

文化闘争であれ武力闘争であれ、表社会をはみだした反社会運動には、権力の圧倒的な壁が立ちはだかる。オタクがそれを突破しようと思えば自前の活動勢力を組織するよりないが、それは不可能に近い。末期のオタクはそれを試み、言うまでもなくその全てが無惨に敗北した。

しかしサブカルチャー系の反社会運動は、権威の暴力に対抗するのに必ずしも自前の活動勢力を組織する必要がない。サブカルチャーの革命運動が一定以上に高揚すれば、必ず敵側が、これに呼応する動きが出てくるからだ。

立て文化人よ。大衆文化を否定し、少数派による直接行動を志向するサブカルチャー版「秋葉原系運動」の形成こそが、勝利への突破口である。

文化人の諸君、ポップ文化の復権は、可能だ。