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ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

メディアとネット原住民だけが勝手に煽るレールハラスメント批判は文化侮辱と同じだ

クレーマーまがいな「他者を糺したい欲」を満たすための幼稚な暴論を許すなかれ

「レールハラスメント批判批判」はハッキリ言ってPCに通じるような極めて危険な言説だと思うんだよね。私は完全否定するよ。こういう野蛮な風潮に与したくない。

「レーハラ批判批判」がクソな点は、低劣なソースロンダリングの産物だということにある。外国人が麺をずるずるすすることを不愉快に思うという事実をまず海外の反応系まとめサイトが記事化し、それをマスコミが後追いした。その情報番組の実況視聴者(ネット原住民)がわめくとまたぞろマスコミの情報番組が、後追いしている。この手の番組はかつては普通のワイドショーで、番組冒頭に文化の紹介をするなど、どちらかというとセンスがいい部類だったが、現在の放送内容はただの意味不明な番組になってる。

本来マスメディアには低劣な発言空間を突っぱねる主流言論の発信装置の役割があるはずだ。ネット原住民空間はそもそも議題設定に偏りがあるし、匿名の特殊な人間たちのルールなき好き勝手な発言の中で発生する多数意見は汚物のようなものであるから、それを受け入れること自体が危険だ。にもかかわらず、一部の国粋主義的ネット原住民(つまりネトウヨ)やそのネトウヨの周りにいるネット愚民が勝手にどうでもいいことに気づいて勝手に難癖つけているだけのことであるレーハラ批判に対し、それこそ無批判にそれをそのまま鵜呑みにして煽ること自体が、本来許されないことである。

私はリベラルの一人として、近頃のメディアの「下流階級巻き込み型の暴論」に抗議したいし、異議を申し立てたい。こういうことをまかり通らせた先には、多文化の排斥、破壊、消滅しかない。成熟した社会を否定させるようなことを公共の電波でするべきではない。

アメリカ文化を勝手に自国化する低級日本国民の傲慢さをまず疑え

 では、マスコミが迎合したこのレーハラ批判の問題かと言うと、そもそも鉄道の本質をわかっていないことにある。都市開発を独断で行う鉄道の発祥国はイギリス、日本に現存する私鉄不動産ビジネスの発祥国はアメリカだ。しかし、その米英には民間の鉄道会社が不動産で利益を上げる習慣はない。つまりこれは「アメリカ文化を勝手に日本人がねじ曲げている」ことなのである。

そしてこの行為を、アメリカ人は批判していない。実際アメリカ人の多くは日本に旅行にしたときに私鉄を使いたがるし、日本発祥の通勤電車がアメリカには多い。異なる日本文化として受け入れる「大きい器」があるのだ。私鉄だけに。しかし、その日本人が、金儲けをする好意を否定するのは本末転倒である。

ネット原住民とマスメディアの謎の共通点が妙な「日本文化としての私鉄信仰」の高さだ。ネット原住民は公共交通をまるでテーマパークに見立てたような商売の鉄道会社(どことはいわないが)の魅力をやたら語っている。以前ネットでは「ヨーロッパの私鉄のトンデモ」を嘲笑するまとめをやっていた。

さらに云えば、最近話題になっているクルーズトレインも日本の伝統ではない。欧米文化で、日本での大衆社会に広く親しまれた歴史は約30年間ほどでしかない。しかも、鉄道の娯楽利用を売りにし出したのは2013年代以降の数年の歴史しかない。完全虚構だ。

しかし「九州発21世紀行き」JR九州じゃないが、このたった数十年あるいはたった数年で作られた即席すぎるジャンクなカルチャーを、ネット原住民はともかくとして似非オタクやリア充はかなり強烈に依拠していて、「お前らの先祖に謝れ」と発言した鉄道オタクに「貴方はアンチですか?」と絡んだりしている。

私も鉄道オタクだし、都会育ちだから私鉄社会(私鉄文化批判は2016/11/14に撤回)に割と親しみがあるので、だからこそあえていいたいのが、あくまでもジャンクカルチャーであり高尚な伝統もなければ他者を殴る動機になりようがないクルーズトレインをそこまで神格化するなよと。こんな奴らこそ同じオタクと認識したくないんだよね。

レーハラ批判は「地方差別」でもあり、忌まわしき車精神でもある

そしてこのレーハラ批判は、あたかも私鉄であればあこぎ商法に走らないとおかしいかのような前提で勝手に煽る、何ら生産性のない暴論だが、同時に地方差別の助長でもあるのだ。実は地方の人たちは私鉄が村社会を築く文化はあまりない。大体大手私鉄は地方にも旅客路線があるのだから配慮しろよな。

地方都市の私鉄路線の沿線風景を見ると、私鉄資本の不動産はない。せいぜい百貨店かテーマパークくらいで、多くの場合よその資本であるという。私鉄が熱心に不動産開発をする習慣のない地方の人は、私鉄を都市利権化させることができないのである。

そして地方の私鉄の隣には車社会がある。世界標準の都市構造だ。アメリカやヨーロッパの都市開発に習ってそうした歴史があるのだが、その開発の発祥地であるアメリカではやはり私鉄が不動産開発する習慣自体がないので、「日本では私鉄が不動産開発しても良い国なんだよ!鉄道を搾取産業呼ばわりした連中は黙ってろ!」的暴論は筋違いにもほどがあるよ。

そしてこの「私鉄による都市利権の寡占・独占をやたら庇う精神」は車中心社会に固執する発想と同じである。公共交通の役割が明確化されている地方都市にはアーケード街の車の交通量が少なく、やはりそれは外国の大都市の繁華街と共通性が多く、アメリカの都市は歩行者優先で、繁華街に車が乗り入れることこそマナー違反で、繁華街の道に人を歩かせない発想こそ許容しがたい。

「レーハラ批判」をやる人達は、欧米人への拒絶であるだけでなく、同じ日本の地方住民や、私鉄だけでなく日本文化の形成に多くの影響を与えた資本主義との融和さえ拒絶する、対立と多様性の破壊を煽るだけの百害あって一利もない暴論なのである。

地方差別や外国侮蔑の情報が平然と垂れ流されているし、「鬼畜米英」も拒否し、単一な愚民の誇大妄想でしかない日本スゴイ神話の自画自賛ばかり蔓延するメディアってもはやネット原住民マトメ豪華版でしかなく、存在価値ないと思う。ネット原住民もろとも変えないといけない。

余談

ていうかそれ以前に、誰がどう考えても鉄道会社が都市利権に口を挟む文化って日本人の感覚からしてもダサイでしょ。私鉄主体の都市開発とか時代錯誤だし。日本とか東洋とか西洋とか関係なく、人類普遍の文明として一企業が都市の牛耳る経済ってあまり推奨されるもんじゃないし、まして「負の弁護・兼・自画自賛」するものではない。

理屈である前の感覚としても、あのように鉄道会社のような都市密着企業に過ぎない産業が都市のあり方を家族が牛耳るような社会のは昭和時代の裏社会のようだし、公権力に癒着するような不健全さを連想するものである。「日本の習慣だろうけど、推奨されるもんではないし、時代遅れだからもう改めないか」ってなるのが普通の良識的反応だろ。マスコミとネット原住民はその意味でも野蛮だ。