2012年PTAのバイク完全許可は公共交通破綻の前兆だった?今こそ日本の鉄道公共交通に光を!!
挨拶の前に2点、皆さんに謝罪をしなければならない。
ひとつは2012年、非常に大きな屈辱と言いますか、高校生の皆さんが敗北を喫しました。高校生にバイクはいらない宣言の完全廃止。その高校生のバイク所持完全許可に反対できなかったこと、それ以前にも声を上げられなかったことを皆さんに、まずお詫びしなければなりません。遅くなりました。申し訳ございませんでした。
やはり知識人がひとりでも現場に立って、皆さんに対する不必要なものをしっかりと目撃し、それをネットの中で取り上げる。生でしなければいけなかったのに、それが叶わなかったこと。それをお詫び申し上げたいと。
もうひとつお詫び申し上げなければならないのが、今までの人生の中で、都市の公共交通問題に対して、まったく自分の中で時間を割いてこなかったこと。社会の中で興味を持たずに、下手をすれば、『都会人でさえ鉄道を見限ってバスや自転車・バイクに移行するのはしょうがないんじゃないか』…何も考えずにそう思い続けてきました。
私の場合は2013年のJR北海道をきっかけに社会の問題にやっと目を開くことができた。その中で、公共交通がどういう不条理を押しつけられているかということにやっと気づけたんですね。あまりにも気づくのが遅すぎた点も、お詫びしなければなりません。本当に申し訳ございませんでした。
私鉄社会も高校生バイク完全許可(3ない運動廃止)も、もう答えは出ているんですよ。実験の失敗としてハッキリと答えが出ている。公共交通とは何か。これは『公共の財産』ですよね。それを手続きとして指し示すものが損切りである。公共交通において正当な合理化である損切りで、北海道の意志ははっきりした。何度もの災難にわたってはっきりとした事実なんですよ。
一番直近でも、なんと大阪の路面電車の末端区間が、路線を失ってしまっているんです。それくらいはっきりしているんですよ、大阪は。北海道に対しても、地方に対しても、そして都市部の私鉄沿線に対しても答えははっきり出している。
少なくともこれらの鉄道が公共の財産ならば、このルールを前に、この現実を目の前に、公共交通が資本の玩具にされることに怒りを覚えるでしょう。当たり前なんですよ、これ。
日本の私鉄の利用者はじゃあ利用者ではないのかという話ですが、当たり前ですよ、公共サービスの利用者じゃないですよ。見てください。いくら庶民が「やめてください、出て行け」と言おうが富裕層が乗り込んでいる。なぜ満員電車が減らないか?いったい何のために?
いったい何のためにこの現実があるのかって?
利用者そのものが大事なお得意様だからですよ!あなた方はお客様としか見られていないから、富裕層も障碍者も子供も外国人も喜んで乗せる。外国で私鉄社会が成り立ちますか!『日本のガラパゴス』というんですよ、こういうの!
北海道ではもうはっきりしている。答えは出ている。でも、その実験の結果を無視してしまって、今、九州や関東などでは鉄道のテーマパーク化を無理矢理進めている。
車社会の地域で鉄道がここまで元気なんて聞いていないんですよ。喜んでいるなんて聞いていないんですよ。蓋を明けてみたらやはり消費物じゃないか。
富裕層は、自分の車やバイクで移動すればいいじゃないですか。当たり前でしょ?これ。どうしてこれわざわざ公共の財産でやるのか?正統な公共鉄道交通が存在しないだからですよ。1987年に日本の大多数の地域から公共の鉄道交通がなくなったんです。日本の私鉄は市民に嫌われているでしょ?特に都会では。どうしてか?日本は発展途上だからですよ。
欧米の先進国で私鉄の旅客鉄道というのはかなり淘汰されている。実際に私鉄をめぐって多数の暴動が起きた。そういうことで大都市では私鉄の営業が大幅に制限されてしまっているのが欧米の現実なんですよ。
でも日本では、東京駅クラスにも乗り入れるし、私鉄に都会の公共の資産が食い尽くされている。
都会の鉄道は誰あってのものなんだ?東京の鉄道は誰のものなんだ?九州の鉄道は誰のものなんだ!?って話ですよね。
鉄道は、公共の資産ですよ。それは先祖から受け継いで、そしてそのバトンを次にわたすために動いているんです、列車は。
北海道の答えはハッキリ出ている。大阪の答えもハッキリ出ている。そして関東や東海でも答えがハッキリ出ている。その鉄道の本来の存在価値さえも無視するという事態が、鉄道という公共交通システムは異常であるということをはっきり示しているんですよ。
(鉄道好きの)皆さんがやったこと、その場にいたかはわからない。でも考えていただきたい。2013年の九州の観光列車は公共交通への裏切りですよ。
皆さんは何のために、鉄道を愛されているのですか?
この町のシンボルになっているから、おそらく鉄道を愛したりしているはずですよね?それは当然のこと。何も咎めなかった側に問題がある、これは当然のことなんです。
皆さん、鉄道に向かって「大嫌い」とは言えない、そんなことをしてしまえば居場所を失ってしまうから。皆さんも共同体の中で生きなきゃいけない。それは当然のことですよ。でもね、この場所を離れた瞬間に、自分の中で、今行われていることを考えていただきたいんです。
自分で情報を探して、一体、この国の鉄道公共交通は今どこへ向かっているのか。そしてこの九州は、関東は、どういう目にあっているかということを、自分の中でもう一度、調べて、自分の中でもう一度考えていただきたい。
大きな声を出せない。孤立するから。それは仕方ないのかもしれない。でも今このようにね、鉄道公共交通の現実にNOを示した日本人の皆さんは、鉄道を嫌っているわけじゃないんですよ。憎悪をぶつけているんじゃないですよ。
それぞれに憂いがあって、憤りがあって、いろいろな合間をぬって皆さん声を上げていて、そして『公共の財産を壊すな』と、『公共交通を返してくれ』と、当たり前のことしか言っていないんですよ。
ただのワガママで言っているんじゃないんですよ。この現実を、この場所を離れた時にもう一度調べていただきたい。旅客鉄道とはどういう存在だったのか。九州は、関東は、そういうことを鉄道好きの皆さんにも。
そして、私鉄の皆さん。社員や利用者や経営者に元気さがないですよね、おそらく。首を洗って待っているでしょう?もう私鉄空間で起こるトラブルや自動車・バイクなどの道路共同体による鉄道いじめでさえも、社会問題のサンドバックにされているんですよ。公憤をぶつける道具として。そのような社会がまかり通っているんです。
だとすれば、大都会の繁華街沿いの幹線道路に健全な高校生さえも自転車やバイクを使うに決まっているじゃないですか。恩恵を恩恵とも思わない、感謝を認めることさえしない。逆にお互いの憎悪を煽る、そのような社会を政治空間が象徴している。それは世界から見る日本人の民度の低さからも見えることなんですよ。
もう一度この鉄道を離れた時に、この公共交通のあり方、自分の中で調べて、深めてくれませんか?ただ単にこの場に来て、なんとなく趣味で鉄道を愛しているって、こんな馬鹿な話ないですよ。
私たちがこうして向き合って、ののしったりののしられたりっていうところに、何も意味がなかったら、これほど悲しいことはない。一体、どのような意図があってこのように敵対させられているのかということを、自分の中でもう一度見つめなおしていただきたい。
本当に鉄道公共交通の栄光を奪還する、都会人として自分たちの意志をもって何事でもものごとを決めていけるっていう、当たり前のところにいきつくためには、ここの記事の読者以外の皆さんにも、外国人の皆さんにも、大学生・大学院生の皆さんにも考えていただかなければならないんです。不幸に鉄道を嫌ってしまった皆さんにも。力を貸していただきたい
そして、鉄道以外に関しても言えますが、『そろそろ日本は変わる』。これが証明される日が必ずくるんですよ。必ずくる。どうしてか?多くの人が気づき始めているから。
今まで日本の外に出なかった情報が、今はもうネットで、大きく世界(翻訳すればの話だが)に伝わっているから。だから皆さん、全世界に注目されていますよ。都会にいる東京メトロ利用者の皆さん。都営でこの地下鉄を回せると思いませんか?
東京都民の皆さん、そうでない皆さん、『どうして田舎や都会も味噌も糞も一緒にして民間に公共サービスを投げ出すのか』と思いません?財政の豊かな都会の交通は公営中心で回せると思いません?金銭的にOKでしょ?でもどうして民間にゆだねているのか。今、公共があまりにもデタラメすぎて、公共の財産を脅かしながら、自分たちが喜んでいる。
良識のない日本人と鉄道好きと良識のない財界と良識のない政界、これ一体なんですよ。これいつか破綻するんですね。その中身がバレた時に爆発するのは誰か?その公共交通を使っている人々ですよ。その時にいつでも公共交通を捨てられる準備をさせようとしているのがまさに2012年の大事件ですよ、皆さん。
大学生ならともかく高校生がバイクを使うような旅はしないでしょ?何で今時バイク所持を完全許可したの?鉄道好きの社会が気に入らないの?それとも日本人は金持ちがバブル期以降急増したの?貧困問題は貧困の絶対数の問題ではなく貧富の格差の問題??まさか免許代無料にして貧乏人まで車社会に引き込みたいのか???
この国の鉄道公共交通は破綻に向かっていっているんです。はっきり言ってそうです。その破綻を迎えた時に、この鉄道に生きる人々の不満が爆発する。そのときの準備を今、皆さんがさせられているんですよ。じゃなかったらなんでPTAや高校まで動かして、バイク所持を完全に認めるのか?考えていただきたいんです。鉄道好きの皆さんにも。私鉄にかかわる皆さんにも、バイクを持ってしまった高校生の皆さんにも。
公共を食い物にする、そして公共の空間を民間の玩具にするような、目先の利益や幸福によって公共がどんどん壊されていっている現実がある。それを深めていただきたい。今日ここにブログを書いたのは憎悪をぶつけたかったわけでもなんでもなく、それを考える機会を、特にバイク完全許可に踊らされてしまった皆さんと今の鉄道公共交通の目を背けたくなる現実が与えてくださったと、そういうふうに私は思っています。
…お話しがまとまりませんけれども、家に鉄道ファンからのオフ会の手紙が来たようです。陰湿に虐められたいのですか?
どこまで夢想に魘されたとしても、必ず目覚める日がきます。九州も関東も、全国の人が、世界中の人が、今、この国でまかり通っている資本の奔放を見続けている。そしてバイク3ない運動の瑣末や日本における道路交通旋風から、全国や全世界の人たちが学んでいるんですよ