読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

バスVS鉄道 街をにぎわす超距離交通たち

私の事務所は格安高速バスの駅で、家から長距離列車の駅をとおって通勤している。
そこで、バス停に来るバスと新幹線や私鉄に来る列車の違いを比較して観察すると面白い。
バスの方は本当に外国にいるかのようで気持ちいい。
バスによって様々なサービスがあるので、乗客たちはみないかにも嬉しそう。
私から見ても完璧にかっこよくきまっているバスが出没するので、楽しい街であることは間違いない。
特に多客時は、停留所付近自体もターミナルのようである。

しかし、気が付いたのは、高速バス停留所で現れるバスたちが、誰から見ても好感がもてるようなサービス・ダイヤにすごく厳密に計算されていて、画一的に規格化されていること。
特に、外国人がこうあってほしい、と思う願望をそのまま切り取ったようなバス趣味に出てくる素敵な乗り物なのだ。
バスは自分の意思で利用してるのではなく、プロデュースする人間が、客の目から見て良く見えるスタイルを綿密に計算し、乗客のニーズや美意識からみて完璧なスタイルを決定し、バスを走らせている。
プロデュースする側が綿密にニーズを計算した結果の成功なのだ。
それに引き換えると、長距離列車の車両、通勤鉄道車両、近郊列車はどうだろうか。
詳細に描写するのは控えたいけれど、以前の寝台特急・客車列車やら、自己流の観光列車、けばけばしい内装や外観など、みんながまゆをひそめるような車両を見かける。外国人からも好かれないだろうし、日本人に好かれるとも思われない。
これらは自分たち鉄道会社などのためによかれと思って、自らのプロデュースでこうしている。
抑えきれない欲望、自意識と自己顕示欲、私は私という意識が列車たちをしてそのように装わせているのであろう。
私も大学生まではよく列車のお世話になっていたが、しがらみにがんじがらめのバイクでは自己を解放できない。
長い休みの日に長距離列車の駅にきて、普段はなりをひそめている本当の自分を解放するのだ。
その意味で、鉄道ファンたちは他人の戦略ではなく、自己の決定で、テリブルではあるが、楽しんでいる。
だから、感じがよいのは圧倒的に道路を走るバスや自動車や飛行機や船だけれど、人為的なこれらより、駅や鉄道線などにいてまゆをひそめてしまうような列車たちも応援したくなる。

ある種、ジェンダーな問題ですよね。

市民や公の戦略に乗っかって従順に従い、民間が成功するとしても、それは本当の成功といえるのか。
自らの戦略で突っ走り、四面楚歌になって失敗しても、民間が自力で立ち直って傷つきながら自分の道をごまかさずに進んでいくほうが幸福なのか。
とはいえ、多くの民間は現代社会において、みんなに受け入れられつつ、賢く自分を追及していこうとするものなので、決して二者対立ではないことが多い。
バスや自動車やバイクたちも、商品として演じているわけだしね。

心配なのは、バスや車社会やバイク社会の市民たち。
道路に出てくるような美しい均一的なバスや車やバイクをこよなく愛しているけれど、本当の交通機関の姿は、バスのように均一的ではなく、鉄道のようにひとりひとり違う。
自分の意思で装ったり行動すれば、市民たちの願望通りにはいかない。
あのバス社会の市民間で増幅されている、日本離れしたバスたちに対する幻想が、多くの日本人をリアルな公共交通から遠ざけているように思えてならない。