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ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

好かれる自動車・バイクと嫌われる鉄道

最近、車やバイクが登場する作品がヒットしている。私は自動車アンチだが、自動車・バイク好きというコミュニティには好感を持っていた。というのも自動車・バイク好きには社会愛があふれ、しかも個人が社会人という市民意識を背負っているという現実があるからだ。

明確な総本山を持たない自動車・バイクは、長い間「迷惑集団」としての悲哀を味わい続けてきた。
自動車・バイクコミュニティ自前でメンバーを育てることの上手なグループだ。いつ入会したかも覚えていない無名な人が、的確な指導法のもとでやがて一流の選手となる。
だがそこは技術水準の悲しいさだめ、公害が発生し、社会はそのコストを払えなくなって排斥せざるを得ないという状態が続いていた。

その悲しい連鎖が1982年の高校生の脱バイク運動、相次ぐ技術スキャンダルという評判の悪化に繋がった。しかし裏事情がいわゆるドングリの背比べ状態になってから氷菓は向上した。

自動車・バイク好きというコミュニティが市民に好かれていることは近年のTwitter空間を見てもわかる。アニメ空間ではファンタジー作品に疲れてジャンルを変えたのではない。ファンタジーで大成功を収めつつ、伝説化を断ってまで、愛するそのコミュニティに戻ってきたのである。

私は自動車・バイクを「大人の優等生」という印象を持っていたので、一時期かなり嫌われていた事実をともすれば忘れかけていた。
そこでこんな表現は大人に情けをかけるように感じられるかも知れないが「今年は自動車・バイクを祭り上げてやろうじゃないか」という気持ちになっていたのである。

 

一方、対照的なのが鉄道界隈である。今年も現在のところ低評価だが、ほんの2年前までは人気争いの常連でもあった。2000年代中盤か10年代初頭にまでは「アニメ・ドラマは鉄道天国」とも言えるほど強かったのである。
それがわずか数年で日陰者の掃き溜めを作りそうな悪評コミュニティになってしまった。

つい最近のことだが、それまで元オタクサークルの顔として活躍してきた私が除籍された。理由は自動車嫌いという常識外れな趣味に怒りを爆発させたためだ。趣味の問題ではなく「そんなに社会を甘く見ているのか」という怒りである。

鉄道は日本最大のサブカルチャーとも思ってきたので、この私に対する扱いには驚かされた。

その後も鉄道好きに対する冷遇は目を覆いたくなるものがあり、私の旧友の家族が離婚した理由に過度の鉄道好きというのが取り上げられ、もはや鉄道は社会の害悪かというほど評判は悪化した。
昨年の大学の同窓会でもオタク趣味を聞かれて「鉄道だけは勘弁して下さい」と屈辱的なコメントをされるほどの立場になってしまったのだ。この発言元は不明だが、流言や都市伝説のたぐいではなく、存在したことは確かである。

こうしてみると、文化というものは、そこに属する者に好かれるかどうかによって、まったく実績が変わっていくことがわかる。「人は社会現象として文化を例えに出すのが好きだ」と皮肉られたりもするが、確かに現在の自動車・バイクと鉄道の状態は、社会のあり方というものを考えるにはうってつけのものと言える。