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ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

「私鉄天国」や「爆音珍走団」はアメリカで成り立つのか

■私鉄天国はアメリカでは成り立たないだろう

ここ最近のこと。私鉄がサブカルとしては珍しく面白い。ところで、この文化はアメリカでも成り立つのだろうか?

そもそも私鉄vs私鉄と言う構造自体が日本独自のもので、外国においては過去約10年くらいヨーロッパなどに似たビジネスを広げる動きはあるが、アメリカには現在そんな事例がない。鉄道は殆ど公営で、主な競合相手は飛行機やバスである。

たとえばアメリカの東海岸の一部の地下鉄線と郊外電車とは競合関係っぽいのだが、実際に客を奪い合っている感じはなさそう。鉄道の公営化や道路第一主義を徹底した国らしい。日本が緩すぎるのだろうか。

また日本の場合、土着資本による私鉄が細々と散在しているモノだが、アメリカは大規模資本による私鉄が主流だった。一社だけで都市の優良納税企業になる場合も多い。土着資本が染み付きにくいという土地柄からか、日本の私鉄同士の競争を再現することは不可能だろう。

また、日本やヨーロッパの場合は、私有地と公共空間の境目があいまいであるため、私鉄同士が独自に線路を敷いて争ったり、公有の線路の上を私鉄線同士が競争したりすることもある。だがアメリカは公共物の所有概念を徹底しておるため、グローバル資本だろうと正当な理由なしで私鉄同士の競合を正当化すれば投獄や殺害される可能性がある。

そもそも合理的とはいえ公共サービスを民営化させて会社同士で争う発想は、アメリカ国民的には非常にあり得ないことだろうから、仮に要らない公営鉄道を民営化させてそれでバスなどと競争しても、商売が成り立たないんじゃないか。

新自由主義というと、年金でギャンブルしたり、無謀な投資をするなど、YouTube当りでもやってそうな題材がたくさんあるのだが、その中で唯一外国で再現不可能なのがこの「私鉄天国」かもしれない。逆に「サブカル」とかはアメリカに売り込んだらウケるはず。

■爆音珍走団はアメリカではウケないだろう。

アメリカでは日本の爆音珍走団みたいなサブカルも成り立たないと思う。いろいろな日本のサブカルの外国版が誕生しているが、こればかりは日本でしか見かけない。

バイクオタクが不自然な車両にバイクや車を改造し、不自然な運転で悪ふざけをするという発想は、車社会の成熟していない日本だから成り立つものだと思う。アメリカ的には車もバイクも生活必需品としか見ていない。学校も鉄道の駅からかなりはなれたところにあるのが多い。

名もない若者が不良グループを形成するには、せいぜいサークル程度が限界で、それより拡大しても半グレになるくらい。もしそのサークルが日系人によるものなら話は別だが・・・

日本の珍走団はよくマフィアが介入することがあるが、それは日本にしかない習慣だ。珍走団から反社会的要素を抜いた旧車会みたいなものもなく、これらに代替できる要素は多分アメリカには見当たらないのではないか。

そもそも珍走団のキモであり、日本の都市の定番である郊外電車文化自体がアメリカでは成熟していないものだ。民営の通勤鉄道もない。アメリカ人にとって公共交通はそもそもみんなお上からの賜物で、みんなありがたく使うものである。

爆音珍走団を扱った漫画やアニメではツーリングやドライブの目的地としてランドマーク施設を描いているが。この手に限らず日本のデートものにおいてランドマーク施設の存在は情景描写の重要な要素だが、これさえ通じない。異文化ってこういうことだろう。

学校の偏差値もないし、サーキットで運転テクニックを披露したり?警察署にて解散式を開くことも多分ないと思う。日本の車社会にルーズで社会的に一途な国だからこそ、この露悪趣味的サブカルは成り立つのだ。

ただ、こうした日本式の異端サブカルが世界に通じないというわけではない。今で言う俺妹、昔の電車男はまさに、若者時代にその手の文化に関心を持っていた筆者が発表した作品だ。先輩方の一部は日本の爆音珍走団感覚でエロ本集めなどに明け暮れていたのだろう。

その電車男のオタク文化がアメリカを筆頭に全世界で人気が広まったこと。まさにサブカル文化さながらに、夏休みの暑い時期にもかかわらず現実空間でサブカル本を買う人が行列を作ってきたことを考えれば、露悪趣味発祥のサブカルの本質に普遍的魅力がないわけではない。うまく変換すれば広まることができる。

けいおん・ばくおんは萌え作品みたいな印象で広まったが、実は日常作品要素もある。話によってはライブやツーリングするストーリーもあり、また有る話では「爆音珍走団」性も兼ね備えている。

ところで俺妹・電車男けいおん・ばくおんはアメリカでも展開されていて、中でもけいおんではイギリス辺りに旅行するシーンがあるから、うまく試行錯誤すれば「爆音珍走団」もアメリカ版が発生しそうな気もする。

ただし、サブカル性を曲げることなく型枠をアメリカナイズした「爆音珍走団」が実現したとしても、それは純粋な若者軍団にはならないんじゃないか。たとえばその手を題材にした漫画や小説を書くとして便宜上、主人公を成金の家に住む人などにし、露悪趣味を楽しむバイクサークルとして登場させるならいけるかも。

■先進国と途上国の最大の違いが世界普遍性の有無

PCゲームの「TrainSimulator」を始めて遊んだ時、「これはBVEと全く同じじゃないか」と思ったのだった。違いがあるとすれば操作が複雑でリアルということ、脱線したりしてゲームオーバーになることがあることで、BVEより上出来であった。

だがこういう企画は都市鉄道(通勤電車や地下鉄など)が発達し、鉄道オタクも当たり前にいる環境ではなければ成り立たない。発展途上国に行けばオタクが嫌われると言うのはオタクなら常識である。どうも、先進国の都市ほどオタクへの寛容性があるんじゃないか。

鉄道経営を舞台にした「A列車で行こう」や今の深夜アニメに出てくる「ラブコメ」は、それなりの都会を舞台にするのならアメリカでもヨーロッパでも再現できる。きっと「ご当地ラブコメ」になろう。成熟した国を舞台にした番組やゲームなどは都会だろうと田舎だろうと関係がないが、発展途上国はそうはいかないのである。

コンテンツ表現において「先進国」の互換性は今後さらに高まるんじゃないか。たとえばこれまたマイナーだが「電車でD」といったファンタジー作品の舞台とか、そういうのが日本やアメリカやあるいはそれ以外の国で作られ、違う国にフォーマットが展開されることなどは盛んになりそうだ。

国家・都市の中における分離と、国家・都市を超越した先進国間の統合が進むようになると、コンテンツ表現の場所設定も分離され、たとえば世界で輸出展開することを前提としたアニメ―ションは最初から主人公の地元が先進国でなければならなくなるような「制約」を受けるようになるんではないか。

2000年代以降の世界の先進国のトレンドは一種のローカライゼーションであり、表面的に見ればその国柄やその地域性や都市柄の強化であるが、それは先進国基盤の世界的統合の結果であり、一見すると同じように日本製バイクの群れまがいが渋滞が多発する発展途上国こそ、孤立化が進んでいる可能性がある。