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ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

マイルドヤンキーに迎合する公共交通業界はこのままでは壊れる

オタク・おたくは私が生まれた時からあったようだが、自分が彼らの存在感を意識したのは任天堂がゲーム会社として躍進していった時代だ。以降、「ポケモン」やら「マリオシリーズ」といった名作を怒涛の勢いで出していく。そんな彼らオタク達の愛するコンテンツが最もすごかったのは、こんにちの日本のサブカル・マスカル像の基礎を作り上げたことにある。

私は新潟県に滞在している時、自身の趣味について知人と話していたらふとある記憶を思い出した。10年くらい前に、神奈川県から愛知・岐阜まで在来線だけで行ったことだ。この際使った快速列車に使われていた車両がJR世代の特急車両(373系)だった。乗客も同じような客層ばかりで場違い臭プンプンだった。

影の薄い優等列車というのは時代錯誤なものだが、それにしてもそういう感覚と一体的だったのが、今で言うサンライズ出雲・瀬戸号なのかもしれない。少なくとも1990年代には今は亡き「ブルートレイン」のような夜行列車が大勢いたが、夜行都市間輸送が何年か経って主役さえも変わって、かなり貫きづらくなっていたはずだ。

そういう中で、2000年代までのJRや私鉄は当時洗練されているサブカルチャーの象徴だったと思う。だから、「鉄道好き=古い」と言う敬遠するような印象を持っていた国民層、若者たちなんかが受け入れて、結果的に大ヒットしたのではないか。

特に、700系レールスターやE1・E4系はJR新幹線の中の改革勢力だっただけではない。特急列車にとっても新鮮な存在だった。新幹線がスピード競争以外に没頭すること自体、それ以前にはなかったことで、新幹線業界も彼らが流れを変えた。

たとえば1990年代から2000年代前半にかけて、E1・E4系の走る新幹線は通勤ラッシュが当たり前、地域的現象になって当たり前だった。JR東日本の社風が良かった。昭和の時代に存在しなかったような発想が、沿線住民に評価され、その価値観を利用者に知らしめた功績は大きいと思う。

もしもJR東日本や西日本の挑戦がなければ、日本の新幹線は2008年くらいには成熟期を迎えていただろうし、東京・新潟間の輸送は下手をすれば飛行機に持ってかれたはずだ。既存の旧時代的なスタンダードを切り替える「平成の新常識」を常に作り続けたのがJR東日本・西日本だった。その新常識は、個性的で、自由そうで、洗練されていた。

■後釜が存在しない

そのJR東日本や西日本もみんな成熟期だ。成熟期は発展期ではない。しかし、彼らが未だに輝き続けた理由は、後に続く存在がいないからだと思う。新規グループならなんでもいいとか、マルチタレント性のある集団ならいいというわけではない。その時代にあった改革集団が必要だ。

鉄道で単なる有力候補であれば「JR東海JR九州」があるだろう。彼らだって今や優良勢力だが、正直、私が見る限り往年の大手私鉄と比べても社会的影響力は乏しい。313系311系なんか、名鉄VVVF車両に匹敵していない。なぜかというと、切り替えた常識が何もないからだ。

JR東日本JR西日本は非常に外向きで、部外の人を巻き込むような傾向があった。鉄道よりかは車・バイクに詳しい私の妹でも、私と縁もゆかりもないような人でもJR東日本JR西日本の路線と経歴とある程度の車両の把握ができている。しかし東海・九州の場合、コア系オタク層やマイルドヤンキーや大衆層にシフトしすぎだ。

JR東海JR九州はともかくとして、西鉄名鉄は典型的サブカル志向だ。いわゆる鉄オタと呼ばれる人たちの中でかつ一定のファン層であればとことん夢中で、列車に乗りまくったりグッズを買うことや副業で外国と関わるなどして影響力があるがこれらを除けば娯楽が変わっているオタク・おたくに慣れた層以外に広まらない。

では残りの大手私鉄はどうかというと、マルチタレントとして立派にあって、副業でも成功しているものの、大手私鉄はJR以上に土着産業の色が強すぎる。いずれにしても、日本の都市文化そのものや私鉄そのものに対し理解と関心がない人には入りづらい業界だ。

JR東日本JR西日本の後釜がいないという問題は極めて大きい。最近「JR離れ」「特急離れ」「鉄道離れ」が進んでいるといわれているが、みんな彼らの得意分野だということに気づく。彼らが新しくしたセンスに準じた後続グループがいない。何より、彼らよりも新しいルールが作れていない。

■マイルドヤンキーを過信してはいけない

日本の鉄道業界は2010年以降、マイルドヤンキー世論を過剰に意識しすぎで迎合しすぎだ。その正体は、オタク層でネット原住民の流れに乗り損ねた連中にすぎないと言うこと。少数の低劣な存在だ。

マイルドヤンキーとJR東日本・西日本はだいたい同地域であり、本来は地元が誇るコンテンツである。しかし、マイルドヤンキー空間では2013年のJR九州クルーズトレイン報道まで、鉄道の話題がほとんどなかった。騒動が起きたら、冷笑に明け暮れる連中だらけだ。マイルドヤンキー空間とはしょせんこんなものである。

そんな一方で、ネット原住民空間では普通の人は不良離れで無関心になりがちな「DQN文化的なものへの嘲笑記事」についての話題は多い。大抵、田舎者へのアンチが、気に入らない地域の柄の悪い人を叩き合うだけのように見える。どう考えてもわざわざ公共空間でのマナーの低さを映したりする連中は普通の人の態度とは思えない。

要するにこれがヤンキーなのである。ヤンキーは、万人にとって関心すら持たないコンテンツの信奉者が、万人そっちのけで内輪もめをする排他的な、つまり悪い意味で「ひねくれただけ」のいじめ的な日陰者の娯楽である。しかし鉄道文化はどちらかというと開かれたミーハーのサブカルないし(メインカルチャー)マスカルチャーだ。

(マイルド)ヤンキー空間だけ見ればこの世の大人の過半数以上は鉄道嫌いで、子供は柄の悪いのように思うが実際にはそんな連中の人口は殆どいない。この国の国民のかなりの割合が非(マイルド)ヤンキーで、一般人しかもベタなオタクかニワカオタクだ。その一般人はリア充層であれば地上波テレビが煽る話題を平気で迎合するが、オタクはそうではない。

オタクな人間は、わざわざ無関心な娯楽に対して深い関心を示すことはない。逆に叩くこともしない。そのため、より洗練されるコンテンツほど、その存在がヤンキー空間ではやたらと小さくなる傾向がある。アニメ・ゲームとかもその弊害を被っている。

思うに「ポストJR東日本JR西日本」が出現しない最大の理由は、ヤンキー空間の問題点に気づけず彼らを切り捨てられないサブカル階層のレベルの低さにあるんじゃないかと思う。欧米だったら(マイルド)ヤンキー階層はトロールのように反社会的な異端と言う認識が徹底していてあくまで良い意味での進歩が今も続いているではないか。

もちろん、オタク・おたくはヤンキーの十八番であるネタ消費の集団ではない。風貌だけの出落ち的な滑稽さもない。消費されて終わる存在でもない。刹那的なネタ消費の繰り返ししかないヤンキー空間と、カッコつけたオタク・おたくの消費するものは対極にあるのだ。

■ 「ドラマの派生系」としてのアニメ

一時期、ドラマとアニメの相関関係がブームになったことがあったが、アニメは「現代化されたドラマ」だったともいえる。実写空間内にそれにふさわしい存在がない時、サブカルの文化シーンは、テレビドラマをベンチマーキングしたテレビアニメがたくさん作られていた。

テレビアニメは昔こそマイナーではありながら、品質はドラマの影響を受けて洗練されていた。ドラマは全世界共通の文化だが、アメリカ発祥のアニメは今や日本のお家芸でもある。そういうわけで、1990年代であればほどほどミーハーにテレビドラマに巻き込まれていたような層が、テレビアニメに流れてしまったのである。

しかし、2000年代初頭当時はあちらこちらのネットや雑誌を見ると、大衆層とヤンキー層によるレイシズムありきのサブカル叩きだけが支配的で、それにヤンキーどもの「オタク文化叩き」が乗っかっていた。そして日本側のドラマ界も、アニメが台頭したから、じゃあそれを見倣って生かそうという発想はなかった。

もしこのままの状態が続けばどうなるか。1990年代にテレビドラマ人気を支えたような層は分裂していき、希薄になっていくと思う。あるクラスターは濃いアニメオタクになる。また別のクラスターは欧米の文化に逃げる。わが国の大衆娯楽そのものに嫌気がさし悶々とした日々を過ごすことになる人が急増する。

■すべてが無になる

ベタなネット原住民やヤンキーが多い下層にわかりやすく説明してやると、君たちが出てきた小学校・中学校・高校のある地域と同じである。大人によって街が捨てられた途端、一気に荒廃化かが進む治安の不安定な地区のようなものである。JR東日本JR西日本というランドマーク拠点を失った文化空間は、都市空間は、交通はどうなるか。

恐らく完全に「何もなくなる」可能性が高い。受験戦争が死んだとき、たった一つの社会問題が深刻化だけで、学歴競争は一度死んだのである。日本人の高学歴化が韓国に遅れただけでなく、エリート階層の成長も遅れた。本来成熟しているはずの上層の発展が遅れた。

1990年代にやさぐれた連中の文化と言えばギャル文化だったという。だが、すでにそんな人は東京の山手線沿線に行けば当たり前のように練り歩いている(柄が悪いか否かは違うが)。要するに不健全な文化としてのギャル文化は消滅した。2000年代になると、珍走団が「旧車会」とネタ消費されるまではヤンキーは死んだ集団も同然だった。

101系の生前には、日本のブルートレインが消滅するなんて誰も思わなかったはずだ。夜間に走る寝台列車というJRの常識がなくなることはありえないという感じだったろう。しかし、実際破綻するものはあっけなく終わる。

2012年と言う今更、相次いで高校生のバイク規制が緩和され、公共交通が悲鳴を上げているが、欧米であれば学生の公共交通利用は1960年代をピークに衰退している。1990年代にもなれば車社会の時代で、鉄道利用は極めてコア化が進んでいた。JR東日本JR西日本は新しい存在であったが、しかし彼らがいないほうが、2000年代に日本の公共交通業界は「世界水準」の構造改革を遂げた可能性もある。

オタク・おたくの娯楽としての鉄道文化の終焉を、あえて前向きにとらえれば「20世紀末に改革し損ねたサブカル界や公共交通シーンがやっと世界の水準に追い付くきっかけになる」とも思えるし、ヤンキー層やマスカル層によってサブカルとしての鉄道を一度殺した方が、第五次モータリゼーションと公共交通の再生のために重要ともいえる。