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ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

非欧米だから対策ができないなんて通用しない

世界では自動車の社会問題が深刻だという話はよく広がっているが、実は鉄道の方が事態はより深刻だとも言われる。
特に日本の鉄道の公共交通性は先進国最悪レベルと言われるほどのひどさだ。海外のそれもそうだが、資本主義国によく見られる競争の副作用である。

ところが欧米ではそれでもなんとか対策を練ろうとしているのに、日本からはそれらしい話が伝わってこない。これは単にレベルが低いから話題にならないというだけではないようだ。

欧米では公共インフラの民間保有を規制し、都市交通は殆どが公有であるのに対し、日本は「欧米でないアジアの日本ではそういうことはできない」かのように述べているのだ。

ちょっと待った。それでは日本や欧米が一昔に財界群の社会問題が叫ばれてきたときに、企業がいわゆるコンプライアンス事項を設けて対策を講じたのはなんだったのか?
日本も一昔までは倫理に甘いとまで云われるほどだった。当時は渋谷のような町並みは「危険地帯」という状態にまでなったのだ。詳しい調査はされていなかったが、現在の価値観で調べたらおそらく腰が抜けるような数字が出ただろう。
つまり先進国でもこうした規制は当然のようにされていたのだ。

『私鉄を巡る汚職が発生したときに鉄道の利用を控えるように警告を出すべきという考え方は「馬鹿げている」。「その後の利用の是非についてどうするかは、利用者が自分自身で決定すべきだ」』

はっきり言ってこれは何もしないことの言い訳でしかない。例えば企業がらみの裁判、というときに「公機関の責任という理由で裁判はしません。民間の問題ですから」などという先進国も見たことがない。なぜならこれは近代国家の常識だからだ。

アジアの「利益第一、職員第二、倫理二の次」という姿勢には私も反対だが、スキャンダル時に企業に規制をかけ、市民に勧告を出すのはどんな民主国家でもやっている当然のことだ。むしろやらなければ、将来アジア例えば中国や日本が世界の中心となって国民の意識が高まったとき、「なぜあれだけの問題を放置していた?」と訴訟さえ起こされかねない。
これもかつての西側諸国でもそうした訴訟が多く出たように。