ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

悪意に満ちた「崇高な」社会は力で潰せ

 ご存じのとおり、15日にインドネシアジャカルタ市内での銃撃戦で多数の死傷者が出る大惨事となってしまいました。2015年のフランスでの銃撃戦の件でも問題になりましたが、国民の環境が劣化している中でこのような事件の起きるリスクの大きくなっていることが十分に考えられます。実際、インドネシア社会が政権の腐敗で昨年12月に大規模デモが起きた矢先に起きてしまったのが今回の事案です。インドネシア・フランス社会に限らず地下鉄テロ事件を起こした日本社会でも見られる傾向ですが、とりわけ過当な公共交通や新自由主義の推進によりセキリュティ・倫理性を度外視した交通・経済の改革(主に車社会の排除やTPPをはじめとする自由主義)を容認する風潮が見られます。鉄道・新自由主義社会の本質的リスクを十分認識した上で、我々としても、常識的観点と比較して便利すぎる鉄道交通や経済体系に対する警戒心を持つようにしなければなりません。

 さて、私は今鉄道社会に関する情報収集を行っています。アメリカの公共交通政策は経済発展との兼ね合いの観点からも、公共交通の拡張そのものが極めて難しい問題を持つといわれてきました。アメリカでは公共交通を「公的サービスを目的とした交通機関」と定義した上で、公共上最低限のレベルにとどめているのが特徴です。とはいえ、このレベルの存在であろうとも反対する勢力は存在し、実際に街頭で抗議活動が行われる事態にも発展しています。
 そして私が懸念しているのは、アメリカはTPP参加を控えていて、日本型の交通システムが輸入される懸念が残ることです。そもそも日本の鉄道公共交通と資本主義を拡張させるTPPは思想的親和性が高いため、表面的な公共交通の理念とはまるで違った運用がなされる可能性もあるためです。2014年頃話題となった高知県の私鉄の問題にも共通しますが、いかに崇高な産業や文化を作ったところで、扱う人間が悪用すればかえってそんな産業などナイ方がマシという事態にさえなります。車社会の無差別排除やTPPの件でいえば、私に限らず多くの識者が指摘しているのですが、(アメリカ側から要請された場合)軽自動車や私鉄といった零細産業を「障壁」として解体される危険性があることです。そんな危険性を実際に危惧しなければならないのは、日本・中国の中からアメリカでの鉄道社会を拡張せよといった思想が平気で出てくる体質があるからです。
 鉄道産業の拡大問題も同じ根の問題があります。鉄道交通の再生云々が言われますが、この扇動を仕掛けたのは経済・地政学的に恵まれている日本人・欧州人です。即ち、この扇動は、鉄道の恩恵をそのままにして本来経済・社会的に配慮が必要な自動車産業を切り捨てる思想が根本にあるという他ありません。その根本思想を無視して西側諸国メディアが「鉄道を中心とする交通体系を実現しながら自動車交通を維持するを構築しべき」などと述べてもまるで説得力を持たないのは当然であり、「鉄道交通の権力化」と「自動車産業への配慮」は二律背反の存在という他ないわけです。特に、日本における国鉄分割民営化の導入思想も、愛知・関西・福岡を中心とした大都市部における自動車社会の解体扇動でした。現代国の交通体系の原則である道路交通を基礎とした交通体系や鉄道の公共化に反する思想から生まれた制度が公正・公平なシステムになるはずもない、というものです。

 崇高な理念を表向き持つ社会であろうとも、その導入扇動を働いた人物の思想が悪質であれば、実際に運用された際に本来の理念に反する事態を招くことは容易に想定できる、というものです。問題は、そんな失敗的事態になった際に、元々の政策そのものに対する批判が出来ない社会構造が存在している可能性もあることです。「鉄道の権力化」にしても私鉄の容認(国鉄民営化含む)にしても、国家勢力はその社会の存在を絶対的前提にした議論しかしようとしません。悪意に満ちた政策の存在そのものから議論しなければ成功的状況にならないのをわかっていながら、一度導入したことの威信が傷つくという身勝手な理由が背景に存在することも理由として挙げられます。結局のところ、失敗的政策の存在を打破するには、相応の力を持ち込んで対抗する以外にない、という結論にならざるを得ません。