ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

日本の文化発信地に「日本」の居場所がなくなっているという問題

 海外留学中の知人が帰国したというので、東京・渋谷を案内。久しぶりにこの街をまともに歩いてみたところ、余りの変貌っぷりに驚いた。

 

 私の記憶が確かなら、渋谷は戦後長らく文化街だった。

 音楽屋の集まる街からファッション街に移ろい、やがてITや外国人の店などの集まる「多文化の街」になったのは2000年代このことだ。本来の文化街らしさは外国人の店に淘汰されてほとんど残っていないという問題は2000年代の課題だった。

 2010年代も半ばとなった現在では、さらなる課題がある。日本人による「日本的文化」からの完全なる衰退だ。そう遠くない以前はかすかにでも残っていたそれらしさが1ミリもなくなっていたのである。

 おおむね、2000年代までは「外国人の街=渋谷」の存在が公然と知られていなかった時代の記憶がある。どこかの映画館とかが流行りの海外コンテンツに乗じたキャンペーンをしたり、テレビドラマや最近ではアニメで外国人街の様子が描かれたり、秋葉原が嘗ての渋谷のように変貌するようになったのは、2000年代半ばの電車男ブームからのことだ。

 したがってこの世代では、早いうちに何かのきっかけでいわゆるサブカルないしサブカルチャーを知り、率先して愛好するようになった人たちは「おたく」ないし「サブカル愛好家」である。しかし、電車男ブーム以降の秋葉原発の文化はバブル時代に流行った今でも海外ではあたりまえのようにある文化の代わりみたいなものになっている。不景気で見栄を張らなくなったためか、文化的中立層に流れるか、オタク文化に流れるかと言う二択構造ができあがっていて、簡単な動機で鉄道に染まったり、アニメやゲームにハマったりするのが今の若者で、2015年当時の中高生以下の世代であれば物心ついた頃には二次元が街中にありふれているから、総じてカタカナの「オタク」に一本化されている傾向がある。

 

 駅を降りて目の前に目につくのは何よりも外国系ショップだ。中に入ると、店員の衣装を着た外国人たちがいるレストランと、お土産物屋がある。置いてある商品は変哲もない雑貨だらけだが、それをむさぼっているのは外国人と、それに便乗している日本人たちだ。

 20世紀世代型の「サブカル・サブカルチャーの当事者」には外国人文化には関心がないという人がいる。だが、現世代型の消費者からすれば、たとえばスマホサイトに外国産ゲームの日本語版が配信されただけで、オタク的感覚でそのゲームに没頭している。ゲームには全く詳しくないが流行っている外国のコンテンツに興味を持つような「一般人の日本人」であっても品定めの仕方は全く同じ。

 

 この「海外文化の本拠地」と言う既成事実からか、渋谷の駅通りではやたらと「海外の映画」の光景を見かけた。ある通りでは、かつて普通の音楽ショップだったビルの店内では海外ドラマのDVDが販売され、あるゲーム店の軒先からは海外ゲームの音楽が流れ、そこはまるで渋谷というよりはアキバのようだ。というか、いまの秋葉原は文化が多様化しているので、秋葉原の「異文化の発信地要素」をそこが模倣してしまったように見える。

 しかも「繁華街でも見かけないタイプのオシャレ」で闊歩する若者が割と頻繁にすれ違ったりするし、ある旅行グループはプラプラ歩きながら、目に飛び込んだ外国の料理に興奮したかと思いきや、海外の映画にも興奮し、さらには電車の静態保存にも絶叫していて、そのテンションの異様さこそ女性にもおなじみなのだが、彼女らの感性は一般男性にしか見えないものだった。

 

 「収束化した大衆文化」が充実し、さらにその構造をベースに、「収束的文化から発散的に成り上がった文化の本拠地」となり、それがミーハーな流行を求める層をかき集める動員要素となり、チェーン店の居酒屋とかドラッグストアとか紳士服店のような「どこにでもあるターミナル駅前要素」に満たされているのだ。

 

 数日前には、秋葉原を闊歩したのだが、ハッキリ言ってここの方が「日本文化」向きの土地柄があると思う。

 

 駅前こそ華やかだが、基本的に野暮ったい街で、隣町との境目に入ると、変わった店が立っている。隣町には、いつの間にか建物の中を通らされたり、どん詰まりのような場所があったり、なかなかである。

 渋谷だって若者の街とか音楽ショップがあった頃は、目立つ街だった。昭和バブル期や平成の初期に池袋・新宿があれほど栄えた一方で開発はさほど苛烈ではなかっただろう。だからこそ、そこで「文化」を引き寄せることができ、ありとあらゆる「華やかな文化」があったんじゃないか。

 だが、渋谷が文化の質的には前進し、経済的に「後退」した理由は、まさに不景気が発生したことにあろう。倒産が伝染病のように流行し、観光にニーズは一元化され、既存の産業が全部ダメになったが、その跡地はピカピカのオフィスビルや全国チェーン凝縮ビルに生まれ変わり、路地裏の裏と言う場所まで「磁場」は消失していってしまった。

 

 秋葉原は、それなりに革新が発生しても、文化の基本構造をひっくり返すようなことはしなかったということだ。文化の中心でありながら、千代田区の片隅だし、主要な路線はJRだし、メジャー私鉄は存在しないから、既存の秩序が破壊されることなかった。国際的な文化を求める人は再開発地域に満足し、不満もなく、これ以上のものは求めず、建物が生まれ変わろうが街の土台が目まぐるしく変貌するようなことはなかったのだ。正直、秋葉原の文化街の方が山手線西側よりよほど「日本文化」っぽさに満ちていたぞ。

 

 お役人が厳しく管理している関係からか、東京23区内では互いに競合するバス路線が存在していないという。その代わりに、営団や東急などの「鉄道同士の競争」でとても溢れていたのが従来の東京のイメージだ。さらにその上で公営交通の民営化が加速し、やがてそれがデパート戦争的なものに広がっていき、アキバ用語で「おいた」がすぎた過激なものは両成敗するようになっていることはメディアでも報じられている通りだ。

 しかし、交通戦争でも確実に「ソフト化」は進んでいる。例えば品川では京浜急行とJRが競合しており、今の新宿の高速バスみたいに競争が過熱化していた。一方は電車の利便性と速さで勝負し、もう一方は車両の内装で勝負する。近頃は、流行のためかどの私鉄でも内装や外観だけ豪華にする列車が定番だが、JRの場合はグリーン車京急と勝負しているのだから驚きだ。失礼ながら、東の東京西の近畿(鉄道会社同士の競争が苛烈であることから)という土地柄がうまく機能しているように見えた。

 新宿は遠くの方に行くほどコアでマニアックなバスが停車し、その最右翼がピンクの大阪生まれの高速バスだ。日本において長距離バス同士の競争はあまりない。路線によっては、日本語と英語はもちろんハングル文字や中国語による案内もあった。

 

 バスは「日本文化」だろうか。

 日用品に付加価値を求めることは、日ごろから大っぴらにこそできないが大人であれば誰もが持っている感覚である。日本人が今や娯楽である鉄道を愛好することはそれ自体が異端的なことは確かだが、ただのバス文化を愛好するは日本文化でも何でもない。そういうものが蔓延するようになったのも、鉄道文化が大衆化して「キャラクターとしてのオタク」に被れるような層が厚みを増し、単に華やかなバスと会いに行きたい目的で貧乏旅行を堪能するようなのが広がりを見せた結果だとも思う。

 

 唯一特徴的なのは、都内唯一の1社専用のバスターミナルがあることだ。これだけの場所は日本でもここと大阪にしかないだろう。このビルに行くと、「インターネットを格安で利用できるサービス」とか、「軽食を販売する売店」が所せましと並んでいる。「新ジャンル」を見かける度に、こういう発想があるのだと感動してしまう。

 ビジネスとしてのバス路線は1路線もないが、どれも内容柄が特殊すぎるために自主規制で当日の現地切符購入を禁じている。通常であれば全く価値を見出さない物に造形を持つ「おたく」をとことん突き詰めている場所がここにもあるのだ。