ボンダイ(ボンK日報)

あれやこれや

成人式と私の憂鬱

「また今年も始まったか・・・・」とため息をついてしまう

いま、スマホの電源をつけると成人式のツイートやラインを中継している。俺はそれが幼い頃から疑問に思っていた。

なぜ成人式について取り上げるのかというと、その会場の中だけは「昭和」が生きているようなアンバランスさがどうにも納得がいかなかったのだ。開会式には全員が和服を着た新成人たちがずらり集まり、彼らは終わりに演壇に向って頭を下げたりするわけだ。試合の最中にけたたましく響くヤジは昔のヤンキー口調ばっかりだし、それはまるで時代錯誤の光景そのものである。珍走団ルネサンスのような光景も、5・6年前と何も変わってないと思う。

何よりそこにいる新成人たちはみんな平成生まれである。しかし、その光景は昭和そのものなのだ。

 

私は幼い頃から、荒れた成人式の光景を見る度になんとなーくいやな気分になったものだ。

昭和60年生まれの私が物心ついた頃、世の中には「昭和の余波」が漂っていた。ちゃらちゃらしたカルチャーが世の中に蔓延していた。バブル期そのものはそれほど記憶にはないが、後で映像や資料で振り返ると、めまぐるしい勢いで町中から昭和時代の香りが消えた時代だったことはよくわかる。昭和中期の香りを残したような長屋や戦前製の看板建築やらが地上げによってモダンな商業施設やオフィスに変わったりもした。女性の生き方が「専業主婦」ありきだった頃から一転して男女雇用均等が進んだのもこの時代であろう。

第二次モータリゼーションもこの時期である。年の交通手段といえば専ら「市電」一択だったのが、「マイカー」という新たな勢力が出現した時期でもある。幼い私にとって日本の戦後文化そのものが封建的な昭和時代だから許された「歴史的なもの」という印象があったのかもしれない。

そんなこんなで、平成にもなって昭和の香り色濃い儀式の「雰囲気」に首をかしげるようになったし、こんなものは私が大人になった頃にはなくなっていると思っていた。若者の象徴が不良少年や少女からオタクや腐女子に替わり、ついには街中の市民団体がゲバ棒や刀といった武等派スタイルからソフトなものになったように、「現代的な形式」へと進化を促されることは必然だろうという見方をしていたんだね。

 

ところが、2016年の今、あの光景はやっぱり戦後のままだ。

来賓の方々も、会場周辺に集結する新成人もみんな昭和のルックスだし、形振りの何もかもが変わっていない。私は今年で31歳になるから、あの新成人たちは最低でも11個年下である。幼い私が成人式の光景を「時代錯誤!」と思っていた頃によちよちあるきをしていたり、まだ生まれてもいなかった世代がこのように昭和の戦後を演じているわけである。本当に、ありえない!

 

「戦後」 と「昭和後期」と「現代」の3つを比較してみると、発見することは多い。

 

昭和中期の時代は「母国語ありきの時代」だった。それを克服するために、英語教育が進んでいった。外国人さんがただの通訳や素朴な仕事のための職業ではなく、バリバリ働くことが当たり前にできるようになった。

しかし、それは全体には広まらなかった。「英会話教室」という言葉はもはや歴史的な言葉になりつつある。平成生まれの若者が憧れる将来像は「外国語が話せる自分」はなく「母国語が通じる世界」になりつつある。母親が英会話講師であっても子は英語嫌いというケースは私前後の世代では珍しくない。

 

昭和中期までの時代は「鉄道一極集中の時代」だった。金の卵の労働者も、学生運動世代も、バブル世代も、皆が鉄道を使っていた世代であった。

そういう世代が富を持つようになると、「これからは自動車の時代だ」という言葉が叫ばれるようになった。私の乳児時代には、国鉄民営化運動があって、鉄道と自動車の競争を加速させる名目で、それらは鉄道ビジネスの拡大に使われた。自動車利用者数も戦後から続く「鉄道一極集中」からは一転していた。統計を見ると、マイカー利用者の人口はバブルの時代には都会や田舎問わず二極化していることに気づかされる。しかし、2000年代になると、にわかにだが再び鉄道一極集中への回帰が始まり、その傾向は近年まで極端になりつつあった。1990年代当時、2013年現在の私の自宅に近い出身高校には、インテリ層や礼儀正しい若者が山ほど居て、当時の不良の蔓延や珍走団による高校荒らし(知らない者もいるかもしれないが、当時ですら不良が健在で高校時代に「不良に気をつけろ」と部活帰りの夜に見知らぬ遠い高校の女子生徒に云われたことがある)がまるでウソのようにすら思えたものだった。当時自宅より少し離れた公園では、公園周辺の高校PTAなどの市民有志によるパトロールサークルがいたのだ。当時の私が、休日の早朝に体操のためにその公園に行く際にPTAの夜回りに体操を止められる光景には本当に笑ってしまう。

 

昭和中期までの時代は「知性の時代」でもあった。いわゆる団塊世代が子どもの頃、「巨人・大鵬・卵焼き」が男の子の好物の象徴だった。みんながみんな娯楽に足を運んでいたのではなく、家族で食卓を囲みながら社会論議や教育を楽しんでいたのだと思う。それでは、左翼とインテリがワンセットにもなるわけだ。きっと昭和中期の世代は、老若男女が社会運動に熱狂しただろうし、大学生が大学を荒らす光景を見ただろうし、駅前で中核派などの左翼の演説を聞いたりもしたことだろう。

だがそれも、昭和後期には変わろうとしていた。欧米文化が日本においても誕生し、知性が文化を掌握する時代が終わるかもしれないと思われていた。業界の危機感は強く、たとえば当時の自動車会社などでは、当時社会問題になっていた珍走団が自動車を改造しないように、改造が難しい構造を研究したり、騒音の少ないエンジンの研究をしてきたのだが、温暖化問題による方針変更や珍走団そのものの衰退により計画は頓挫してしまった。

21世紀を迎えて、もう10年以上が経過している現代。知性の時代は変わっただろうか。確かに欧米文化は浸透しているし、インターネットや文化の飛躍的な発展により誰もがサブカル・サブカルチャーにアクセスしている。しかし、社会の代表格は知性第一のままだ。スマホの画面では、民謡でも和曲でも外国の音楽でもいくらでも流れる時代なのに、そこの話題はもっぱら政治思想と社会の護送船団の中から作られている。

インターネット上では右翼タレントや偏った議員をやたらと起用するマスメディアへの反感が根強いが、本当にメディアが影響力を失っているのなら、「ゴリ押し」の存在時代が無視されるものだ。

 

この20~30年の日本の変化を振り返ると

 

『昭和中期の時代の象徴であった「母国語ありき」「鉄道一極集中」「知性の時代」が、バブル期前後にはいったんは否定されたものの、今は再びそれに戻ってしまっている』

 

ということがよくわかる。

バブル期には、確かに世の中は替わりつつあったし、その後の2000年代初頭にも、小泉・安倍政権による改革や田中角栄の焼き直しだったり、ITベンチャー企業などの成金がちやほやされたりもした。しかし、それから10年経った今、日本はどうなったかというと、周辺諸国の成長を尻目にただひたすらアメリカと同じく昔へ回帰したのみだった。

 

田中角栄は日本社会を変えようとしたし、経済構造を変えようともしたけど、結果的には彼は牢屋に入れられてしまった。その魂が小泉を経て安倍に戻ってきた今、石油は相変わらず中東産に依存している。インドネシアやアメリカの石油が安くても、中東で内乱があれば日本の石油が高騰する。そのエネルギーの最大の消費者は、これまた東京電力をはじめとする古くからの民間企業であり、やがては昭和時代に退化したような鉄道社会を支える原動力となる。満員電車や人混みに不満や疑問を覚えなかった日本人は、夢見た世界に入ることのできない不都合な現実にも涙を流しながらも受け入れてしまうのだ。

 

昭和の車社会を知らない現在の田舎に住む大人の何割かは「世の中何も変わっちゃいない。変わりかけても結局元通りになってしまった」という理不尽さに気づくこともなく、今日もまた駅に集まって、電車を使って旅をするわけである。